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ブックマーク / number.bunshun.jp (29)

  • WBCで戦線離脱した広島・栗林良吏が登録抹消に…その裏には大会中に起きた”ある事件”が…浮かび上がる侍ジャパンのトレーナー問題(鷲田康)

    WBCの歓喜から1カ月余りが経過した。 この間もロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手らの活躍が、連日、テレビの情報番組を賑わせ、まだまだあの熱狂の余韻をファンは楽しむ日々が続いている。 その一方で、大会後になかなか状態が上がらなかったり、故障で戦線離脱して苦しんでいる選手がいるのも事実だ。 ヤクルト・村上宗隆内野手は開幕後もスランプが続き、4月終了時点で1割5分7厘という低打率に喘ぎ、塁打もまだ2という現状にある。またDeNAの牧秀悟内野手も打率2割3分5厘の3塁打と来の力からするとかなり低い成績に低迷し、投手でも日ハムの伊藤大海投手は5月2日に開幕5試合目で初白星をマークしたが、防御率4.71と振るわない。 さらに心配なのは今回のWBCに出場したメンバーで、すでに5人が故障やコンディション不良で戦線を離脱しているという事実である。大会中に右手小指を骨折した西武・源田壮亮内野手

    WBCで戦線離脱した広島・栗林良吏が登録抹消に…その裏には大会中に起きた”ある事件”が…浮かび上がる侍ジャパンのトレーナー問題(鷲田康)
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    netsekai 2023/05/04
    人災?
  • 「ショックで1週間動けなかった」女子バスケ、あの歴史的銀メダルの裏で…東京五輪メンバーからギリギリで落選した安間志織、1年後の告白(生島淳)

    安間は1994年、沖縄生まれ。北谷中時代に全中で優勝すると、その後は福岡にある名門・中村学園女子、そして拓殖大学でプレーした。私は当時、関東の大学女子バスケをよく見に行っていたので、安間のプレーを記憶している。 「ひとりだけ、なんだか“アメリカ”がいるな」 絶妙なハンドリング、そしてシュートが女子では極めて珍しいワンハンドだったからだ。正直、カッコ良かった。 「カッコよかったですか? ありがとうございます(笑)。アメリカのバスケって、ドリブルひとつ取ってみても、独特のリズムがあるんですよね。それが染み込んだのかな。ワンハンドシュートはミニバス時代、週に2、3回は嘉手納基地の中でプレーしてたんです。アメリカの人はワンハンドじゃないですか。それを見てカッコいいなって思って、それからじゃないですかね。でも、中学時代もジャンプシュートはぜんぜん得意じゃなくて、全中優勝もディフェンスからのカット、フ

    「ショックで1週間動けなかった」女子バスケ、あの歴史的銀メダルの裏で…東京五輪メンバーからギリギリで落選した安間志織、1年後の告白(生島淳)
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    netsekai 2022/08/04
  • 往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”(中小路徹)

    「おにぎり、1個? 2個?」 「1個でいいや。部活きついとべられんけん」 その朝、弁当について母とそんな会話を交わした長男は、生きて帰ってこなかった。大分県立竹田高で起きた剣道部主将熱中症死亡事故。今夏、十三回忌を迎えた両親はこれまで、司法の場で指導者の責任を問い続けてきた。その思いは、スポーツ指導での暴力への厳罰化という形の抑止につながっている。 2009年8月22日。工藤剣太さん(当時17)が死亡した経緯から振り返る。ここまで描写できるのは、両親が部員たちの協力を得て、証言を聞き集めたからだ。当初、大分県の教育委員会と学校関係者が示した報告書は、ごく簡単な時系列に過ぎなかった。部の後輩でもあり、事の一部始終を見ていた弟が「事実と違う!」と怒りをあらわにしたことから真実追及がなされたことを、まず確認しておきたい。 水分補給は少なめ、嘔吐する生徒に竹刀で叩く 練習は午前9時から始まった。

    往復ビンタ10発以上「きつい振りすんな!」竹田高剣道部主将“死亡事件”から12年…遺族が明かす“暴力指導の壮絶さ”(中小路徹)
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    netsekai 2021/09/21
    これで不起訴は本当にキツイ。
  • 「大谷翔平がそうだろ。これがプロだよ」セルジオ越後が6年前に語っていた“日本サッカーに辛口である理由”(武智幸徳)

    7月28日に77歳になるセルジオ越後氏。サッカー解説者としてなぜ“辛口な批評”をするのか。その理由を聞いた「Sports Graphic Number」掲載記事を特別に公開する。 〈初出:2015年3月19日発売号「〈来日から43年を経て〉セルジオ越後『僕が辛口である理由』」/肩書などはすべて当時〉 なぜ、セルジオ越後はいつも毒舌を吐くのか。'72年の来日以来、サッカー界の発展を考え続ける日系ブラジル人解説者の音と、願いとは。 1972年に日にやって来て「当に驚きだった」 日風にいうと終戦の直前、1945年7月28日に生まれたセルジオ越後が日サッカーリーグの藤和不動産(後のフジタ。現湘南ベルマーレ)にやって来たのは1972年のことである。 日リーグ初のプロ経験者として、ブラジル仕込みの華麗なテクニックを披露する日系2世に日のファンは度肝を抜かれた。一方、セルジオが日に来て最

    「大谷翔平がそうだろ。これがプロだよ」セルジオ越後が6年前に語っていた“日本サッカーに辛口である理由”(武智幸徳)
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    netsekai 2021/07/29
    確かに補欠問題はあまり取り上げられないのが現状。
  • プロ野球選手→メンタルコーチ。今浪隆博が「うつ」に気づいた日。(佐藤春佳)

    「今浪さん、それ、うつ病でしたね」 日ハム、ヤクルトで活躍した今浪隆博がそんな言葉をかけられたのは、11年間のプロ野球生活を終え、半年ほど経った2018年のことだった。 現役時代に甲状腺機能低下症(橋病)と闘った経験から、医師会で講演をつとめた後、聴講していた精神科の医師から声をかけられた。 「甲状腺の病気の症状とうつ病を間違えるケースは実は多いんですよ」 医師の言葉に、今浪は不思議と胸のつかえが下りるような思いがした。 「ああ、あれってうつ病だったんだな、と。その時初めて納得できる答えにたどり着いた気がします」 体調は回復したが、心は重かった。 今浪は現在、都内でアスリート専門のメンタルコーチとして活動する傍ら、社会人の軟式野球の実業団チーム「GORILLA CLINIC BASEBALL」で監督をつとめている。なぜ元プロ野球選手がメンタルの仕事に興味をもったのか。きっかけは、まさに

    プロ野球選手→メンタルコーチ。今浪隆博が「うつ」に気づいた日。(佐藤春佳)
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    netsekai 2020/07/17
  • クロップの発言にドイツが騒然。ドルトムントとリバプールの差とは。(了戒美子)

    プレミアリーグでリバプールが30年ぶりに優勝したことは、ドイツでもまるで我がことのように話題になった。理由はもちろん、監督ユルゲン・クロップがドイツ人だからだ。 クロップは落ちぶれていたドルトムントを再建し、バイエルンを下して'10-'11、'11-'12シーズンに連覇を成し遂げた。これがどれほど特別かということは、'12-'13シーズン以来バイエルンが8連覇中ということからもわかる。 しかも例えばヨアヒム・レーブのような「なんだかよくわからないけど結果が出ている監督」とも違って、プレッシングからのショートカウンターというサッカーの方向性も明確だ。若手を多く獲得し成長させていくスタイルも、王者に立ち向かうクラブのイメージを強化した。 クロップ自身の話し口調もはきはきとしていて好感度が高く、ベンチで得点を喜んだり、選手と抱擁したり、時には判定やプレーに怒ったりと、感情を爆発させる様子は心を動

    クロップの発言にドイツが騒然。ドルトムントとリバプールの差とは。(了戒美子)
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    netsekai 2020/07/08
  • ラミレス監督がデータ偏重を止めた?コーチ陣が話す「オープンな関係」。(石塚隆)

    人は当に変われるのだろうか――。 今シーズン、リリーフ陣に不安を抱えながらもまずまずのスタートを切った横浜DeNAベイスターズ。ラミレス監督4年目となる今季、どうしても気にかかることがひとつだけあった。 昨シーズンの終了時、ラミレス監督は3年ぶりのBクラスは、自らの責任だと反省の弁を述べている。 「我々のコーチは能力が高く素晴らしいが、すべての決断を私がしてきたがためにコーチの能力を生かしきれなかった。彼らには当に申し訳ないと思っている。より良いチーム、より良い組織にするためには、やはり私自身が変わらないといけないと強く感じている」 そもそも、なぜコーチ陣との不協和音を生んでしまったのか? 単刀直入に尋ねると、ラミレス監督は真摯な表情で答えてくれた。 「私は試合に挑むにあたり、さまざまなデータを調べて、いろいろな決断をしています。戦略においては自分が固く信じているものもあるし、事実、裏

    ラミレス監督がデータ偏重を止めた?コーチ陣が話す「オープンな関係」。(石塚隆)
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    netsekai 2019/04/13
    いつも借金の3,4月で貯金できたら優勝あると思う。
  • 「普通の人でいたかったです」須田幸太はベイスターズに殉じた。(日比野恭三)

    DeNAファン以外の人にとっては特別な選手ではなかったかもしれない……。昨秋、ひとりのピッチャーが横浜スタジアムから去った。“大魔神”でもなく、“番長”でもなかったが、チームとして大事な時期に活躍し、DeNAファンの記憶には必ず残っている投手でもあった。 須田幸太、32歳――この記事は、忘れがたき“普通の人”の去り際の物語である。 その人の顔がたびたび思い返されたのは、彼がさよならを言わずに去ってしまったせいだろうか。 2018年10月3日、横浜DeNAベイスターズは、9人の選手に戦力外通告を行ったと発表した。プレスリリースに並んだ名前の先頭に、その人――須田幸太の名前はあった。 11月13日に開催された12球団合同トライアウトに参加した須田を、獲得しようという球団は現れなかった。去就が明らかになるのはさらに1カ月後。須田自身が催したファンとの交流イベントで、プロ入り前に所属していた社会人

    「普通の人でいたかったです」須田幸太はベイスターズに殉じた。(日比野恭三)
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    netsekai 2019/02/08
    これは遠回しのDeNAコーチ批判かな。社会人コーチは指摘できたとの事。
  • 筒香の覚醒、山崎とロペスの不振。ラミレス監督は主軸にどう対したか。(日比野恭三)

    横浜DeNAベイスターズのラミレス監督が、2016年を振り返り、「ここまで話していいの?」というところまでじっくりとシーズンを語り尽くすNumberWeb独占の連続インタビュー。第3回は、5割をめぐる攻防が続いた7、8月の戦いと、ハマの大砲・筒香嘉智選手の覚醒、また、ファンの間でも賛否が分かれた「調子の波の激しい選手の起用」について、その理由を明かしてくれました。なぜ監督は、30打席ノーヒットのロペスを先発で使い続けたのか。そこには、彼のある強固な信念が大きく影響していた……。 ――前半戦のMVP、野手では筒香嘉智選手の名前を挙げられましたが、後半戦に入ってすぐ、3試合連続マルチ塁打(7/19、7/20スワローズ戦、7/22ジャイアンツ戦でそれぞれ2塁打)という史上初の記録を打ち立てました。あらためて、筒香選手をどう評価していますか。 「これは筒香以外の選手に対しても常に言っていること

    筒香の覚醒、山崎とロペスの不振。ラミレス監督は主軸にどう対したか。(日比野恭三)
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    netsekai 2016/12/21
    誰だよ答えてくれたのw“なぜだろうと思って他チームの選手に聞いてみると”
  • ラミレス監督、Number独占告白!監督としての最初のミスと感動と。(日比野恭三)

    2012年に誕生した横浜DeNAベイスターズ。過去4シーズンは下位に低迷し、「クライマックスシリーズ(CS)に進出していない唯一の球団」という、不名誉な状態が続いていたが、今季はレギュラーシーズン3位で初のCS進出。ファーストステージではジャイアンツをくだし、ファイナルステージではカープには負けたものの、実り多きシーズンとなった。 Number Webでは、今季からチームを指揮するラミレス監督に、2016年シーズンを振り返っていただいてのロングインタビューを敢行。 全4回シリーズの第1回は、昨年の監督就任からキャンプを経て、シーズン序盤の苦戦と苦悩についてじっくり語っていただいた。 ――監督1年目、振り返ればいろんなことがありましたね。 「たしかにたくさんのことが起こった。いつも話している通り、どう始まるかではなく、どう終わるかが大事なこと。アップダウンはあったが、いいシーズンを送れたので

    ラミレス監督、Number独占告白!監督としての最初のミスと感動と。(日比野恭三)
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    netsekai 2016/12/09
    “梶谷選手に対する評価はかなり高いですね。 頑固なところがあるが、見ていて非常にエキサイティングだし、ぼく自身、彼のプレーはいちばん好きだ。”
  • 観衆20人、報道2組、夜遊び無し。DeNA秋キャンプがストイックだ!(日比野恭三)

    11月も半ばだというのに、セミの鳴き声が聞こえた。 グラウンドには強い日差しが照りつけ、山の稜線から積乱雲がもくもくとわき上がっている。朝に見た天気予報によれば、予想最高気温は28度。すぐに両手の甲と鼻の頭が赤く焼けた。 いまだ夏の風情を保っている奄美大島で秋季キャンプを張っているのはベイスターズだ。2日に始まり、5勤1休のスケジュールを刻んできたキャンプは14日、最終の第3クールに入っていた。 何年かプロ野球の取材をしてきたが、秋のキャンプを訪れるのは初めてだった。開幕を控えて注目選手の動向が気になる春季キャンプに行くことはあっても、秋はシーズンが終わり、プロ野球の露出自体がめっきりなくなる。秋季キャンプがどのようなものなのかは、ずっと知らないままだった。 観衆も報道陣も少なく、選手はリラックスしていた。 初めて降り立った奄美で初めて見る秋季キャンプは、春の沖縄とはだいぶ趣の異なるものだ

    観衆20人、報道2組、夜遊び無し。DeNA秋キャンプがストイックだ!(日比野恭三)
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    netsekai 2016/11/19
  • <ベイスターズ元社長の独り言>「スポーツビジネスの真髄」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    初のクライマックスシリーズ。5年目で乗り 越えた壁の先には情念と情念の戦いがあった。 そして敗退の翌日、社長退任が発表された――。 10月15日、ベイスターズはCSファイナルステージでの敗退が決まった。翌16日朝、僕は株式会社横浜DeNAベイスターズの代表取締役社長を退任することを発表した。なぜそういう決断にいたったのかは、短いものだが文章を すでに公表している ので、そちらにも目を通していただければと思う。 今季すべての公式戦が終了しだい退任することは、1月31日の時点で決まっていた。横浜スタジアムの買収が実現したことが一つの区切りだった。春季キャンプインの直前、選手やチームスタッフ全員の前で話をした時、もちろん退任するとは言えなかったが、「みんな覚悟をもって戦ってほしい。僕も覚悟はしている」と思いを込めた。 選手やコーチたちはみごとに期待に応えてくれた。アレックス・ラミレス監督は、

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    netsekai 2016/11/04
  • 暗黒時代の終焉と、三浦大輔引退と。DeNAとファンが諦めと決別するまで。(村瀬秀信)

    この期に及んでも気が乗らない。どうせ感傷的な記事になることはわかりきっているからだ。 この「野次馬ライトスタンド」も、更新しないまま半年以上の月日が流れた。今シーズン、インタビュー以外のベイスターズに関する記事を書けなくなったからだ。 自分は嫌なファンだと自覚している。コラムでは、期待されるような原稿は書けない。この半年、編集部から何度も案を貰っても、書いてみては消す。その繰り返し。散々待たせて結局放り出した挙句、この原稿も1週間以上待ってもらっている。当にごめんなさい。 そして、横浜DeNAベイスターズがクライマックスシリーズ初出場を決めた。 2007年にセ・リーグにクライマックスシリーズが導入されて以降10年。12球団で唯一出場のなかったチームが、お題目のように唱えていた「CS」にようやくたどり着くことができた。 「あとは勝つだけですよ」と何度耳にしたことか。 当に長かった。 勝率

    暗黒時代の終焉と、三浦大輔引退と。DeNAとファンが諦めと決別するまで。(村瀬秀信)
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    netsekai 2016/09/30
  • DeNAがついに越えたCSの「Line」。ラミレス監督の芯を見た言葉の数々。(日比野恭三)

    現役時代は明るいキャラクターのイメージだったラミレス監督だが、就任1年目にして指揮官の貫録と風格を漂わせている。 9月19日、横浜DeNAベイスターズが球団史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。 Aクラス入りといえば聞こえはいいが、「6チーム中3位になっただけ」という冷めた見方があるのも事実だ。それでも、ベイスターズの歩んできた過去を思えば、球団やファンが感慨にふけるのは当然のことだろう。 21世紀のベイスターズは、昨季までの15年間で853勝1236敗。積み重ねた借金は383(年平均25以上)に上る。DeNAが親会社になった初年度の2012年も46勝85敗、勝率.351という厳しい船出だった。 札束を積んでFA補強に打って出たわけではない。外国人選手の獲得には積極的だったが、チーム状況を激変させるほどのインパクトがあったわけでもなかった。戦力、選手層に大きな変化がない中でこ

    DeNAがついに越えたCSの「Line」。ラミレス監督の芯を見た言葉の数々。(日比野恭三)
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    netsekai 2016/09/26
  • DeNAの第二幕はどこへ向かうのか?球団社長に来季戦略を直撃!(村瀬秀信)

    秋深く、お祭り男の去ったあと。束の間の寂寞は次章へのプロローグか。 ソフトバンクホークスの圧倒的な強さでの日一に、もののあはれを感じつつ、呆けてしまっているこの秋。 こてんぱんにやられたセ・リーグの、そのまた最下位に沈んだ横浜DeNAベイスターズは、チームの看板を支え続けた中畑キヨシが去り、新監督にA・ラミレスが就任。ひとつの時代が終わり、新たな時代の幕開けとなった。 しかし、前半戦首位からの最下位着地というこれまた新しい裏切りの手口に、改めて「最後の最後まで調子に乗ってはいけない」という誓いを強くするシーズンであったが、このオフはドラフトで今永、熊原と即戦力即ローテ入りも見込める投手2人を獲得し、さらにはあのハマスタを友好的TOBで買収するという新聞報道が出た。毎年オフになれば「おぉ、あの野口がFAで!」なんて、それなりにバラ色の未来は輝いていたのではあるが……最近の希望はまったくの異

    DeNAの第二幕はどこへ向かうのか?球団社長に来季戦略を直撃!(村瀬秀信)
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    netsekai 2015/11/19
    フロントもこの単語知ってるのかw「いつまでも“ベイスボール”と揶揄される世界から抜け出せない」
  • <ベイスターズ社長の独り言>第11回「Managerへの情熱」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー

    ご存じの通り、ベイスターズにラミレス新監督が就任しました。参入5年目にして初の監督交代となります。 新監督の人選には主に3つのポイントがありました。1つは現有戦力を一定の水準以上、把握していること。70人の支配下登録選手の実力をゼロから把握するには最低でも1~2年は必要になります。しかし180万人(今季観客動員数)の期待を背負った今、「戦力把握に時間がかかるから2年間の契約期間中に勝負すればいい」という悠長な姿勢はもはや通用しません。来年からすぐに勝負できる人材である必要があります。2つ目は球団のこれまでのチーム運営方法を理解し、継承すること。一軍監督に求められる最大の責務は「試合に勝利すること」と定義しています。チームづくりは、現場の意見に耳を傾けながらも、あくまでフロント主導で論理的に進める方針を採っており、監督への全権委任ではない点を納得してもらうことが条件となります。さらに3つ目が

    <ベイスターズ社長の独り言>第11回「Managerへの情熱」 - プロ野球 - Number Web - ナンバー
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    netsekai 2015/11/08
    “コーチ人事はGMに全てを委ねたい、通訳の人選さえも球団に委ねたいと、自らの意向を強く示しました”
  • なぜDeNAがグリエルを獲得できたか?池田球団社長が語るキューバ道中記。(村瀬秀信)

    ウェールカーム、グーリエル。今日このときー。わかーいボクーらはまっていたのさー♪ ウェールカーム、グーリエル。横浜に響き渡るよ、このーうたーごえー♪ 横浜地方では若いベイスターズファンがそんな歌をうたいながら、キューバの英雄の来日を今か今かと待ち望んでおります。 世界最強との呼び声も高いキューバ野球の英雄にして至宝。打ってよし、守ってよし、走ってよし、さらに顔も家柄もいいという偉大なるプレイヤー、ユリエスキ・グリエル。 その彼が、29歳という脂の乗り切った年齢にもかかわらず、横浜DeNAベイスターズに入団するという報道がされたのは今年の5月。以来、横浜の話題は「あのグリエルが来るんだって?」「それは何かの間違いだろう」「グランかグリンかグスマンあたりの類似品だ」「グエムルとかいう朝鮮の怪物だ」「ベイスターズが一釣りした大物外国人なんて、中身が吸い取られているに決まっている」「どこかに爆弾

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    netsekai 2014/06/09
  • 5年で4人ベテラン捕手獲得の阪神。GMが就任しても、迷走は終わらない。(氏原英明)

    昨季は108試合に出場、DeNAの正捕手を務めた鶴岡一成。DeNA退団の挨拶後に、涙を浮かべて新たな決意を語っていた。 昨年の秋に落胆した虎党の姿が甦ってきそうである。 今では、大阪の街で知る人ぞ知る存在となった大阪桐蔭の西谷浩一監督は、昨秋のドラフト以降、虎党からこんな声をかけられるようになったという。 「カントクゥ、なんで阪神は森友哉(大阪桐蔭→西武)を指名せーへんかったんや」 プロからの指名を待つ側からすれば、そんなことをいわれてもどうしようもないのだが、それほど阪神ファンにとっては、タテジマに袖を通す森を見たかったのだ。いや、藤浪晋太郎-森の大阪桐蔭バッテリーを見たかった。ややもすると、関西の野球ファンの総意でもあるだろう。 昨秋のドラフトで、阪神が森を指名しなかったことは、虎党の中ではクッキリ印象に残っている。 その阪神が、このほどFAでDeNAに移籍した久保康友の人的補償として

    5年で4人ベテラン捕手獲得の阪神。GMが就任しても、迷走は終わらない。(氏原英明)
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    netsekai 2014/01/18
  • 僕は楽天イーグルスの「初代応援団員」だった。(村瀬秀信)

    9月。球団初の優勝を目前に控え、満員に膨らんだKスタ宮城のスタンドを眺めながら、岡野寛大は熱い感情が込み上げてくることを感じていた。 今から8年前。当時フルキャストスタジアム宮城と名乗っていた同じ場所で、大学生だった岡野は全国荒鷲連合会の副団長として楽天ファンの前に立っていた。 「1年目のスタンドを思うと今の応援風景は信じられないですね。僕らはまったくの応援素人の集まりで、いろんな人に助けられながらここまでやってこれたんですよ」 大阪・藤井寺で生まれ、近鉄ファンとして育った岡野だったが、2004年夏に端を発した球界再編で、近鉄がオリックスと合併することで消滅。仙台に新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。岡野は近鉄の消滅をどうしても受け入れることができず、合併球団ではなく東北の新球団を応援することを決意する。 「気持ちが整理できないまま近鉄が消滅してしまって、すんなりと合併球団も応

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    netsekai 2013/09/29
  • 足で勝って、足で負けた侍ジャパン。あの8回裏の重盗シーン、全真相。(鷲田康)

    「連覇してくれた選手の方々もいらっしゃいましたし……そういうものを全部、自分が止めたような気がして申し訳ないです」と責任を全部ひとりで背負うようなコメントを残した内川。 その瞬間に三塁側の日ベンチはもちろん、スタンドの日応援団、そして記者席も一瞬声を失ったような沈黙が流れた。 準決勝のプエルトリコ戦の土壇場に起こった痛恨のミス。1-3と2点差としてなお1死一、二塁で一塁走者の内川聖一が飛び出してアウトになったプレーは、ある意味、今回の日本代表の強さと脆さを象徴するようなものであったように思う。 苦戦した1次ラウンドのブラジル戦、2次ラウンドの台湾戦と、この8回から試合が動いて、日に逆転への道は広がっていた。 もう一度、問題の場面を整理してみよう。 3点を追う8回。 当然、ファンだけではなく日ベンチも再びの逆転劇を意識してこの回を迎えたはずだった。 そして1死から鳥谷敬が右中間に三塁

    足で勝って、足で負けた侍ジャパン。あの8回裏の重盗シーン、全真相。(鷲田康)
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    netsekai 2013/03/19