・トイレットペーパーをリビングに置いてティッシュ代わりにする ・ケチャップやマヨネーズを手で塗る あと一つは? (追記) ケチャップ等を手で塗るのってやっぱりヤバいのか…? ピザトースト作りたい ↓ 食パンにケチャップをかける ↓ 均等に塗りたいけどスプーン洗うの面倒 ↓ 手で塗る ↓ 指についたケチャップ舐める(おいしい) 手についたケチャップも無駄にならないし、水道代も節約できて効率的だと思うんだけど
「結婚制度とか無くても居んじゃね?」これは本質だよね。結婚を法律で定める必然性が問われてる。ぶっちゃけ今現在は異性婚も国が定める必然性がない。住所登録だけで世帯把握はできるしな。必要なのは生まれる子の保護だけ。 大企業がかつての配偶者手当とか無くして子育て手当だけ出すようになった世の中で、法制婚の権利を声高に叫ぶのは時代遅れ。むしろ同性カップルと異性カップルの平等を叫ぶなら法制婚廃止が正しい。 国に登録するのは親子関係だけでいい。婚姻の法律を全部排除して、子供の実親と保護者の登録を法律で定めるだけでいい。 「愛があるから結婚したい」って愛を法律で定める必要ない。国に認められなくても勝手に結婚してろ。そのための仲人や見届け人や。勝手にパートナーになってろって。
今回の件で明らかになったのは、婚姻制度はどんな形のものであれ内在的に差別を含むということだろうね。 同性婚、近親婚、多夫多妻、どの制度にしても「婚姻はこういうもの」「家族はこうあるべき」という一つの思想、家族観でしかない。 同性婚の賛成派は、ともすれば「同性婚賛成は倫理的優越した思想であり、自然に考えれば賛成するのが当然」だとか、「好き合っている者同士が結婚するだけなのだから他人が反対する理由がない」だとか主張しがち。 でも同性婚も近親婚も多夫多妻も、一つの家族制度を社会に強要する行為である以上、上記の主張には妥当性がないと言える。 私は別に同性婚に反対というわけではない。 ただ言いたいのは、同性婚に賛成するのであれば「私は現代日本ではこういう家族の形であるべきだ」というような一つの家族観を社会に強要する主張だということを自覚した上で活動すべきだと思う。 それを自覚しない主張や活動は無用な
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く