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考古学に関するnezukuのブックマーク (2)

  • 「真田丸」初の発掘調査 盛り土や堀の跡発見か | NHKニュース

    戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉方の武将、真田幸村、こと信繁が「大坂冬の陣」で大坂城の南に築いた出城、「真田丸」の初めての学術的な発掘調査が行われ、盛り土と見られる跡などが見つかりました。一連の調査では巨大な堀と見られる跡なども確認され、真田丸の実態に迫る成果として注目されています。 協議会によりますと、真田丸の学術的な発掘調査は初めてで、調査の結果、地下およそ1メートルほどの深さで周囲の地層とは違う黄色の土の層が見つかりました。この土の層は自然に堆積したものとは違う形状になっていることなどから人工的な盛り土の跡とみられ、真田丸の基礎の一部の可能性があるということです。 また、発掘に先立って行われた航空写真の分析や地下のレーダー探査では、この付近の東側と西側、それに南側の三方を囲むように堀と見られる跡が確認され、真田丸の堀と推定されるということです。このうち南側の堀と見られる跡は幅およ

    nezuku
    nezuku 2016/12/09
    あれちょっとまって、少し前のブラタモリで歩き回っていたところじゃない… タモさん大阪の回リトライ案件発生?
  • <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース

    多賀城市南宮の内館館跡(うちだてたてあと)で、室町時代後期の堀に囲まれた屋敷跡が見つかった。発見の契機となったのが航空写真の分析で見つかった農地のクロップ(農作物)マーク。埋没している遺構の影響で農作物の成育に違いが出ており、その場所を調べるとマーク通りに堀の跡が見つかった。市教委は4日午後1時半から現地説明会を開く。  クロップマークは、JR東北線陸前山王駅から北西約1.5キロの水田で確認された。航空写真では、幅2~3メートルの二重の堀に囲まれた隣接する2区画の形がうっすらと浮き上がって見えた。  堀の内側にあった井戸跡などからは、漆器のわん、すり鉢型の土器、木製のげた、ひしゃくなどの生活用品が出土。柱を立てた穴も数カ所確認され、有力者の屋敷跡と推定された。  多賀城市西部は、鎌倉時代の陸奥国府留守所(るすどころ)の長官の子孫で、代々この地を治めた「留守氏」の屋敷跡がある。内館館跡は、室

    <多賀城内館館跡>空撮で室町後期屋敷跡発見 | 河北新報オンラインニュース
    nezuku
    nezuku 2016/06/04
    それなりの深さのところのある遺構が作物に影響を及ぼすのかぁ
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