戦国時代に天下統一を果たした豊臣秀吉方の武将、真田幸村、こと信繁が「大坂冬の陣」で大坂城の南に築いた出城、「真田丸」の初めての学術的な発掘調査が行われ、盛り土と見られる跡などが見つかりました。一連の調査では巨大な堀と見られる跡なども確認され、真田丸の実態に迫る成果として注目されています。 協議会によりますと、真田丸の学術的な発掘調査は初めてで、調査の結果、地下およそ1メートルほどの深さで周囲の地層とは違う黄色の土の層が見つかりました。この土の層は自然に堆積したものとは違う形状になっていることなどから人工的な盛り土の跡とみられ、真田丸の基礎の一部の可能性があるということです。 また、発掘に先立って行われた航空写真の分析や地下のレーダー探査では、この付近の東側と西側、それに南側の三方を囲むように堀と見られる跡が確認され、真田丸の堀と推定されるということです。このうち南側の堀と見られる跡は幅およ