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山田ズーニーに関するngt1979のブックマーク (5)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson612 あなたには表現力がある 表現できない人間など、いはしない。 表現力はみんなにある。 表現したくない人間など、いはしない。 自己表現は能的希求だ。 にもかかわらず、 「自分は表現したくない」「できない」 という声が、ちまたから、よく 聞こえてくるのはなぜだろう? そういう人は、 いまこの瞬間から、 「自分には表現力がある。」 と引き受けるだけでも、 ずいぶんコミュニケーションはちがってくる。 「表現できない」という 先週のミチオさんのおたよりには、 共感とともに、複数反響をいただいた。 まず読んでほしい。 <マグマ> 先週のコラム、 「マグマ」、という言葉が浮かんできました。 人は、感情、時間、歴史、 いろんなものを身に受けて、 内にためているんだと思います。 押し込められたマグマが、 何の抑制もかけず、 勢いのまま噴出するのがアマだとしたら、 マグマの勢いを自在にコン

    ngt1979
    ngt1979 2012/11/19
    あまりにも表現する機会がなさすぎたり、自分で表現することを押し殺していると、人は、おもらしするように表現する。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson604  人の品 友人があっという間に「品」を失ったことがあり、 あれはなんだったんだろう? と、ずっと考えていた。 友人とは、 ほとんど音信不通のような半年がつづき、 さすがにまわりも心配しはじめ、 とくに仲のよかった数名で、 友人マンションをたずねることにした。 ドアから顔を出した友人に、 だれもが言葉を失った。 半年前とは別人だ。 べつに化粧がケバくなったわけでもない、 激太りしたわけでもない、 服装も髪形も、とくに以前と変わったわけではない。 でも決定的になにかが違う。 たたずまい、 ことば、 ふとしたはずみに見せる表情、しぐさ、 そのはしばしが、いちいち全部、ちがう。 半年であっという間に変わり果てた、その変化が、 私たちは言葉にならず無言のままだった。でも、 帰途で、だれからともなく、 「品が無くなった‥‥」 ポロリ、もれた。 わたしもまさに!そう思っていたので、

    ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。
    ngt1979
    ngt1979 2012/09/22
    貧乏は、自己表現の機会を奪う。自分らしい服装をするにも、自分らしくいられる場に出かけ、無邪気に遊ぶにも、趣味を愉しむにもお金が要る。人の「品」は、自分を生きることを諦めないところから来るように思う。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    ngt1979
    ngt1979 2012/08/09
    やって失敗した現実の恐れには 具体性や限度がある。でも、やったことがないゆえに想像からくる恐れは、現実とズレがあったり、際限がなかったりする。必要なのは恐怖心を煽ることではなく、注意力を喚起することだ
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson598 くだらないことこそ、ちゃんとやれ。 - 3.表現者とは 表現者とは、 「自分とのコミュニケーション」を尊び 大切にする人であって、 自己愛が強い人ではない。 自己とのコミュニケーションが円滑・自由なのであり、 それは「自分が好き」というのとは違うし、 ましてや「うぬぼれ」でもない。 と、先日気づき、ストーンと腑に落ちた。 長いこと違和感があったのだ。 表現教育の現場で、 「自分が大好き!」と答える人に。 たしかに、 自己肯定感がひくい日において、 「自分が嫌い」とうったえる人はとても多く、 嫌いじゃ表現は始まらない。 そういう中で、 「私は自分が大好きです!」と 高らかに言える人は、 個性的に見られるし、実際ウケてもいる。 でも、私は、 「自分が好き」にしろ、 「自分が嫌い」にしろ、 言ったとたんに何かが止まる、 「表現」というのとは違うのではないか、 という気がして

    ngt1979
    ngt1979 2012/08/02
    安易に、好き嫌いに着地せず、常に、謎として、疎通をはかり、自分とのコミュニケーションを怠らず続けていく。これが、日々の、くだらないことも、ちゃんとやる、に通じていくのだと私は思う。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson596 くだらないことこそ、ちゃんとやれ。 おかんが、「富士山を見たい」という。 この梅雨のさなか。 ことのほったんは、 先日、スーツケースを片付けようと、 ポケット深く、手をつっこんだら、 1万円札が3枚出てきたことだった。 「こんなことをするのは、おかんしかいない。」 おとなになってからも、母は時々お金をくれる。 正面切って渡すと、 私が「いらない」と言うので、 いつからか、バッグのポケットなどに そっと入れて置くようになった。 で、久々に、田舎にいる母に電話をすると、 やはり、私が連休に帰省したときに、 母が入れたものだった。 あまりにひかえめ、不器用な愛情表現のため、 私は2か月、まったく気づかず、 このスーツケースで、あちこち講演の旅に出て、 あやうく気づかずじまいになるとこだった。 ひとしきり、確認やらお礼やらいって 電話を切ろうとすると、 母は、もぞもぞと、まだ、

    ngt1979
    ngt1979 2012/07/20
    使命とか貢献とか目的とかそういうこととまったく無縁だからこそ、それは「自分らしさ」なのだ。「こんなちいせえこともやれねえで、いざ人生の選択だ、自己表現だというときどうして自分で自分を表現できるんだ?」
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