12/7(月) 「鬼トーク9」 プロダクション人力舎presents 「鬼トーク 9」 お笑い界の最終兵器「鬼ヶ島」トークライブ!!何が起こるか分からない展開予測不能ライブをとくとご覧あれ!! 【出演】鬼ヶ島(大川原篤史 / 野田祐介 / 和田貴志) 【ゲスト】あり?! open18:30/start19:30 前売¥1300/当日¥1500(共に飲食別) ※前売券はローソンチケットにて11/19より発売!!(Lコード:32066) 以下、ライブのレポートです。敬称略。 トーク(1部) ・鬼ヶ島登場。 立ち見のお客さんまでいる事に驚く3人。 ・「今日は俺たち鬼ヶ島の、漫才に対する熱い思いを語る会になると思いますけど」という大川原の真顔の冗談でお客さんから笑いが。 大川原「漫才っていいよなー」(お客さん笑い) ・このライブの日はM-1決勝進出者が発表された日で、 大川原「(もし決勝に残ったら
ブログと本音のあいだ - Life is Really Short, Have Your Life!!を読んで。 私は本音しか書いていない。 ただし、書く本音と書かない本音がある。 それだけだ。 こんなこと偉そうに言うことではないとも思うけれど、言っておきたかったので。このブログも思考系ブログなので、本音を書くというより自分の意見として書くといった方が正しいのかな。嘘は書かない。当然のことである。 大事な事はそっちではなく、書くべきでないことを書かないことの方。 特にオフ会だともっと顕著な話で、ネット上ではできない会話でも実際に顔を合わせればできるものですが、その会話すべてをすべてオフレポで書いて良いわけではない。その判断は難しいところではあるけれど、書くべきでないと判断したものは絶対に書かないし、口外すべきでないと判断したものは絶対に口外しない。 ブログも同じ。最初は書かないと決めていて
この前、知人と一緒に「情報の暴露」に関して歩きながら話していました。 個人的な付き合いで知り得た情報を、本人の了承無く、本人の意図しない公開された場所で暴露してしまう人がネット上で増えているのではないかという話題でした。 そこで、「そういった点に関しての情報リテラシ教育も必要なのかも知れませんね」という発言をしたところ、「それはリテラシの問題ではない。むしろデリカシーの問題だ」と言われて、今までモヤモヤとしていたものが急に晴れた気がしました。 確かに、個人的に経験した「他人による嫌な暴露」は、情報リテラシが高いと思われる人によって行われていました。 「何をされると人が嫌がるか」という視点が欠けているというのは、リテラシというよりも、デリカシーだと言われると非常に納得できます。 リテラシが高くてデリカシーが無い人が怖い オフ会などで同席して最も怖いのは、情報リテラシが非常に高くてデリカシーが
昨日のTwitterクラック事件はDNSに不正な値を設定されたことが原因でした。 Twitter公式ブログでも以下のようにDNSが原因であり、本体が乗っ取られたわけではないと記述されています。 「Twitterブログ: 昨日のDNS障害についての追加情報」 この攻撃の間、われわれはDNSプロバイダのDynectと直接連絡を取り続けました。そしてDNSをできるだけ素早くリセットするよう緊密に作業しました。 これを見たときに「ああ、やっぱりDynectが原因だったか」と思いました。 恐らくTwitterは自分でネットワークやサーバをほとんど運営しておらず、DNS部分はCDN事業者のDynIncのサービスを購入していると推測されます(参考:Twitterのネットワーク構成を調べてみた)。 さらに、「CDN事業者のDynectにとってTwitterでの事件は経営に凄く大きな打撃を与えるのでは?」と
近ごろ「最近の若者はダメ」が、(また)流行っているようなので、自エントリをまとめてみる。もし、「最近の若者は…」を見かけたら、ここを思い出してほしい。 きっかけは、職場の飲み会。「近ごろの若い連中はダメだ!」と一席ぶつオッサンがいたこと。それって、昔から言われてますね、と返すと、「何年何月何日に誰が言った!?出典どこだよ?何の根拠でそう断定できるんだよ?」ってオマエは小学生か。そこで調べてみたところ… ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 1. 近ごろの若者は当事者意識がなく、意志薄弱で逃げてばかりいて、いつまでも「お客さま」でいる件について [URL] 「最近の若者はダメだ」と昔から言われているが、特に今の若者はひどい。当事者意識が欠如しており、いつも何かに依存し、消費し、批判するだけの「お客さま」でいつづけている――という小論。出典を隠すと、内田
ふぁぼったから。 dankogaiはあれだけ本を読んでいるにもかかわらず行動パターンがまったく変わらないので、「本を読んでも人間は変われない」という説の動く実例みたいになってる。商売としてあれはどうなのか。 dankogaiの人気嫉妬する君の気持ちはわかるけど、多読して人間が変わるのは、むしろおかしい。また、私はそうならないために、多読する。 本は著者の思想を表現するもの。それは著作物だから当然だ。そして、人の思想は多様なもの。人間だから当然だ。 多読するってことは、様々な思想に触れることになる。意識して多読する人、特に同じ分野の本を多読する人は、「異論」を求めて読んでいるはずだ。 読書は人を動かす。これは確かだ。著者の思想が注入されるのだから、影響の多少はあっても動かないわけがない。また、著者はそれを思いながら著述する。これは人を動かす力になる。 しかし、大量の「異論」によってかかる力は
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