日本ドラマの「ジェンダー観」、実は劇的にアップデートされつつあった…! 『MIU404』『透明なゆりかご』… コロナで自粛期間中、家にいる時間が長くなったことや、ネットフリックスで気軽に見られるということもあって、韓国ドラマ人気に火がついている。確かに、話題となる『愛の不時着』や『梨泰院クラス』は、ストーリー展開の緩急のつけかたも見事で、次がどんどん見たくなるものであった。 韓国ドラマの評価が上がるのと同時に聞かれるようになったのが、「それに比べて日本のドラマは…」と日韓のドラマを比較して日本の作品に批判的な見方を示す意見だ。 とくに日本のドラマの「女性の描き方」を批判する声は小さくない。制作側が無邪気で天真爛漫で何があっても笑顔で切り抜けるようなキャラクターにするなど、設定があまりに「昭和然」としているといった声もあった。 確かに、ドラマに限らず日本のテレビ番組は「最大公約数」的な面白さ
Aさんは認知症の70代男性。奥さんと二人暮らし。体育教師だったが、退職後に認知症が進んで意思疎通がまったく図れなくなった。もともと柔道で国体にも行った人で、教え子にも恐れられるほど厳しい人だった。生徒指導では床に霜の降りた冷たい柔道場に、暖房も入れずに何時間も正座させて足を凍傷にさせたり、炎天下でグラウンドを何周もさせて、熱中症で救急搬送させるような人であった。それも教育のためと信じていた。 認知症が進んで、人を人とも思わない暴言を昼夜問わずに放つようになった。散歩に出せば大声で下品なことを叫び、ズボンをおろして歩くので、警察に再三注意された。しかたなく、自宅で世話をすることになった。 日に3度の食事から入浴、家中に垂れ流すシモの世話、外出して店で万引きした際のお詫びと弁償徘徊した時の捜索や町内会へのお詫び奥さんが献身的にお世話。過労がたたって老々介護のさなかに奥さんが亡くなった。悲劇が深
パイロットが搭乗したまま航空機を敵艦に突っ込ませる特攻隊の「体当たり作戦」は、「私には、100パーセント死ぬ命令をだすことはできない」と語った海軍航空部隊の隊長がいたというほど、生還の望みをもてないものだった。 作家・保阪正康さんの著書『昭和史七つの謎と七大事件 戦争、軍隊、官僚、そして日本人』(角川新書)より、特攻の始まり、そして特攻隊員たちの知られざる本音について一部を抜粋する。 ◆ ◆ ◆ 特攻の始まり 初めて戦術としての組織的な特攻隊の出撃は、昭和19年10月25日。海軍の神風特攻隊である。 この年、各地の守備隊が次々玉砕するなど、戦況は著しく日本に不利となった。軍事指導者たちの無能ぶりからなんら打開策が見いだせないまま、戦争はズルズルと泥沼に陥り、犠牲者をいたずらに増やしていた。その中から出てきたのが「体当たり攻撃」作戦だった。 まず海軍が、人間魚雷「回天」を開発した。もっとも初
キューバ革命の伝説的英雄として知られる、エルネスト・チェ・ゲバラ。31歳のときに広島を訪問した。革命のわずか半年後、1959年7月25日のことだった。(ハフポスト日本版・安藤健二) 【ゲバラ画像集】 国立銀行総裁として、通商代表団を率いての来日。当初のスケジュールでは、広島訪問の予定はなかった。 しかし、8月6日の原爆投下の日を前に、「他の日程をすべて犠牲にしても、原爆慰霊碑に献花したい」というゲバラらの強い願いから予定は変更。フェルナンデス大尉と駐日キューバ大使の2人だけが随行して、大阪から急きょ広島に向かった。交通機関は、夜行列車で行ったという説と、飛行機を利用したという2説がありはっきりしていない。 県庁職員、ゲバラの問いかけに「ぎくっとした」ゲバラらが原爆慰霊碑に献花する姿を、中国新聞のカメラマンが撮影している。花を手向けるフェルナンデス大尉の後ろで、戦闘服姿のゲバラはうつむき加減
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今年の夏は屋内で過ごす時間が増えそうなので、冷たくておいしいドリンクを冷蔵庫に常備しておきたいところ。 一昨年は、この記事で紹介したやり方で、無印良品のアクリル冷水筒と水出しコーヒーを使い、ミルクコールドブリュー(冷たい牛乳出し)のコーヒーを作っていました。 濃厚でとっても美味しいのですが、水出しコーヒーが高いのと、毎回冷水筒を洗う面倒くささがネックで次第にやらなくなってしまいました。 何かもっと手軽で負担の少ない方法で、これぐらい美味しい常備ドリンクを作れないか……と考えたどり着いたのが、手間ほぼゼロでジャスミンミルクティーを量産する方法でした。 牛乳パックに入れるだけ方式 用意するものは、牛乳と水出し用のジャスミン茶のみ。 (自分は伊藤園のRelaxジャスミン茶が安くておいしい気がしているのでこれを使っていますが、水出しできるジャスミン茶なら何でも大丈夫です。) 以前の記事では、無印良
75年前の広島と長崎への原爆投下についてアメリカでは「戦争を終わらせるために必要だった」とする意見が根強くありますが、有力紙ロサンゼルス・タイムズは「日本に原爆を落とす必要はなかった」などと主張する異例の論説を掲載しました。 この中では、当時のアメリカのトルーマン大統領は、ソビエトが参戦すれば日本の敗北が決定的になることを認識していたとしたうえで、「歴史的な資料は、原爆が使われなくても日本が降伏したであろうことを示している。それをトルーマン大統領や側近たちも知っていたことは、文書から明らかだ」として、日本に原爆を落とす必要はなかったと主張しています。 そして、アメリカで現在、人種差別が再び社会問題となっていることを踏まえ、「アメリカ人が自分たちの国の負の歴史を見直している今こそ、日本の都市に対する核兵器の使用について、国民の間で率直な対話をするのにふさわしい時だ」と指摘しています。 アメリ
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