1925年、アラスカ州北端にあるノーム市で致死率の高いジフテリアが流行し、住民たちが死の危険にさらされた。 唯一の治療法である血清が、極寒の中、多数の犬ぞりチームのリレーによって届けられ、風雪に閉ざされた町は危機一髪で救われた。 今でもノームの人々は、そのときに活躍してくれた犬たちに感謝の気持ちを忘れない。この物語は、吹雪の中大役を果たした犬ぞりチームの犬たちと、リレーの最後の区間を輸送したチームのリーダー犬、バルトの物語である。 血清を届けるため、犬ぞりチームが結成される 1925年1月、ノーム市の医者は、住民の一部にジフテリアの症状がみられることに気がついた。医師たちが戦々恐々とするのは無理もなかった。1921年までに、この鼻と喉の感染症で1万5000人以上のアメリカ市民が死亡していたからだ。 治療のほとんどはアメリカの中心部でしか行われていなかったため、ノームを住民を危機に陥れた。ノ