2010年01月21日07:42 カテゴリその他 京のお茶漬け 私が京都生まれの京都育ち(高校まで)だというと、驚かれることが多い。テレビに出てくる京都人は、ていねいで物腰の柔らかい人々で、私のようにストレートにものをいうのは「江戸っ子」だと思われているようだ。しかし実際の京都人は、排他的で冷たい。ていねいに話すのは、「よそ者」に気を許していないことを示しているのだ。 これには理由がある。京都には1000年以上にわたって国家権力の中心があり、街中が戦乱に巻き込まれる体験を何度もしている。権力が変わると、きのうまでの隣人が敵に回るといった経験が繰り返されてきた結果、「一見さん」を信用しない習性が根強く残っているのだ。魯迅の小説に描かれているように、人間が国家権力と隣り合って生きていると猜疑心の固まりになる。幸い日本人は国家に対峙した経験があまりないが、京都だけは例外的に権力を意識し続けた都市