ブックマーク / dicegeist.hatenablog.com (7)

  • まだ自閉症・発達障害についてあまり知らない人にお願いしたい、たった1つのこと (世界自閉症啓発デーコラボ企画) - dicelogue

    なないおさんの呼びかけで、今年も大勢の方が記事を書かれていますね。 今年のコラボ企画のテーマは「嬉しかった(お願いしたい)配慮とありがとうの気持ち」ということですが、 皆さんいろんなことを書いていることと思いますので、 私からは、「お願いしたい配慮」を1つだけ。 「最初に思いつくアドバイスを一旦棚に上げて、その次に考えてでてくるアイディアを教えてほしい」 これだけです。 アドバイスをするのは楽しい 私は、心理士として発達相談をする中で、家族内・親族内でのコミュニケーションの大変さということをとてもよく聞いてきました。 多くの人間は、なにか困った状況・問題となる状況があると、原因究明・対処方法のアドバイスをしたくてたまらなくなるようです。「○○したらいい」「○○しないのがいけない」などなどなど。 「子どもの言葉が遅れている」→『もっと愛情をかけてあげないと』 「子どもが飛び出して行っちゃう」

    まだ自閉症・発達障害についてあまり知らない人にお願いしたい、たった1つのこと (世界自閉症啓発デーコラボ企画) - dicelogue
    ninono0412
    ninono0412 2016/04/03
    全自動思考回路にふりまわされていないかどうか、過去の育ちに囚われていないかどうか、一親としていつも意識していきたいと思います。
  • 翻訳記事「なぜ私は、今朝『ノー』と言った、自閉症を抱える子を誇らしく思うのか」 - dicelogue

    元記事: Why I'm Proud My Autistic Son Said‘No’ Today By Emma Dalmayne, Mar 05, 2016 私は、今朝『ノー』と言った息子のことをとても誇らしく思う。 息子は今日は地域のボーイスカウトと一緒に出かける予定だった。その子たちと一緒に出かけるのは初めてのことで、息子もとても興奮すると同時に、不安も抱えていた。 他の子たちはどんな話をするんだろう? ちゃんと楽しめるかな? 行く途中、手を繋いでいってくれるだろうか? 退屈しないかな? 昨日はとても落ち着かずそわそわしていたけれどぐっとこらえている様子で、今朝起きてからも、行きたいのか、行きたくないのか、踏ん切りがつかないようだった。 一緒に朝ごはんをべ、着替えている間も、この子の気持ちは行ったり来たりしているようだったので、どう言うふうに決めてもいいし、新しいことに挑戦しよう

    翻訳記事「なぜ私は、今朝『ノー』と言った、自閉症を抱える子を誇らしく思うのか」 - dicelogue
    ninono0412
    ninono0412 2016/03/10
    とても素敵な記事!!子ども自身の強さを育てることのできる親になりたいものです。
  • 発達障害の見立て・アセスメントについて、チェックリストの先のもの(一心理士の視点) - dicelogue

    今まで療育的・特別支援教育的な分野に携わらなかった人が、新たにこれから携わるようになる場合、「方法」や「プログラム」に目が向きすぎて、子どもの現況の評価や見立て、アセスメントということへの意識が薄くなりがちなように思います。 心理士であれば、トレーニングの課程の中で、見立て・アセスメントというのが必須です。 これは療育的な分野に限らず、広く心理士の職務分野で必須の考え方なのですが、こうしたアセスメントの意義を共有していない人が意外に多いことに、じわじわと気づかされてきました。 幼稚園や保育園や小学校で、あるいは親御さんから、「どうやって教えていったらいいですか?」と聞かれる時に、その見立ての考え方も一緒にお話ししますが、 「そんなことはいいから、どうすれば良くなるかだけ教えてください」となってしまうと、応用がききません。 見立て・アセスメントとは、単にチェックリストを元に診断名を考えること

    発達障害の見立て・アセスメントについて、チェックリストの先のもの(一心理士の視点) - dicelogue
    ninono0412
    ninono0412 2016/02/09
    長女が入学を控え、どのように学校側に長女の特性を伝えていくか考えるうえで参考になります。
  • 発達障害を抱えて生きること、あるいは、自分自身になっていくこと - dicelogue

    前の記事では、「発達障害」という考え方を、どうやって子どもや自分自身のこととして見ていくかという話を書きました。 こんどの記事は、そうした発達障害を抱えたままでどうやって生きるか、という話です。 発達障害を抱えた子ども・大人が成長するとはどういうことでしょうか? 人間、特に日人は、あるいは子どもの親は、「弱み」・「苦手さ」・「問題行動」「発達障害に特徴的な行動」をなくしていくこと、そうして「普通の子」にすることを重視する傾向があるようです。 そういうと逆に、「障害は病気じゃないから治らない」「無理をさせるのはいけない」「ありのままのその子でいいんですよ」というような話をする人もいますね。 もちろん、様々な場面で人あるいは周りの人を苦しめるような行動については、少しずつより良い行動に置き換えていくことが望ましいのはあたりまえです。色々なことができないよりは、できる方がいいでしょう。 わざ

    発達障害を抱えて生きること、あるいは、自分自身になっていくこと - dicelogue
  • わが子の発達障害特性を考えることと、自分自身の発達障害特性を考えること、障害を「受容」すること - dicelogue

    前の記事では、社会的、大局的な話をかきました。 この記事は、個人のレベルでの話を書きます。 「発達障害」という言葉は、使う人・文脈によって大きく色合いを変えます。 特に、①わが子の将来に関する「不安」の象徴のように使われるときと、②大人の方がこれまでに経験してきた大変さの「解説/仮説」として使われるとき、③第三者が排除的・侮蔑的に使うときとでは、意味合いがとても大きく変わってきます。 わが子に関して「発達障害」という言葉と出会うのはどんな時でしょう。 ただでさえ、子育てというものは先行きが見えず、親御さんに様々な責任がおっかぶせられる時代。そんな中で、家庭で親子で関わるとき、あるいは幼稚園・保育園・小学校などで、何かうまくいかない・しっくりこない不安感が募ってくる。 そんな不安感を象徴するような言葉として、「発達障害」とか「発達障害の疑い」とかって言葉が降りかかってきたならば、それを否定し

    わが子の発達障害特性を考えることと、自分自身の発達障害特性を考えること、障害を「受容」すること - dicelogue
  • 「発達障害」という考え方を持つことについて - dicelogue

    (過去のTwitter投稿をあれこれとりまぜ加筆) 「発達障害」ということについて、「昔はそんなものなかった」「わざわざ障害児扱いをしている」「できるはずのことを甘やかしている」というようなことを言うひとがいます。少なからずいます。 でも当は、発達障害という考え方は「普通の子を障害と決めつけ、『できなくていい』と切り捨てていく」ためのものではありません。そうではなくてむしろ、かつてなら「普通の子」扱いから外れそうになり、その瀬戸際で揺さぶられてきた様々な子を、より一層その子に合わせた・公正な見方で見ていこうとする考え方です。「これができてあたり前」という窮屈な「普通」を広げ、いろいろな人がいる世界をより豊かに見ていくための視点です。精神論ではとても乗り越え難い苦手さを少しずつ越えていけるように支える方法論です。 これまでに、目に見えるわかりやすい障害はないけれど 人の話を聞かない、屁理屈

    「発達障害」という考え方を持つことについて - dicelogue
  • 障害を抱えた人の「努力」のための「理解」について - dicelogue

    Twitter連投より) 発達の凸凹がある・障害があるってことは「努力しないでいい」ではないし、「努力することが無駄」でもない。 気にとめるべきなのは、「努力すれば必ずできる」でもないし、「できないのは努力が足りないから」でもないということ。 努力をするのは人で、それを邪魔も押し付けもせず、応援をする。 ここらへんの塩梅がうまくいかないと、努力が見えやすい形で身を結んだ子や親だけを持ち上げ、そうではない子や親を貶めるようなことになる。 「できそう」「やれそう」「やってみたい」「できるようになりたい」「がんばりたい」をどうやって引き出していくか、がカギ。 それまでにその人があきらめていたようなことでも、こうした刺激がうまくハマれば、「がんばってできるようになりたい!」になる。 そのために、スモールステップで成功体験を積みやすくして、人の眠っていた意欲を引き出すことをねらう。 元から「な

    障害を抱えた人の「努力」のための「理解」について - dicelogue
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