このエントリのコメント欄でほっけさんから教えていただいた2chミステリー板のスレ。旧日本軍の戦争犯罪を率直に認めたら保阪正康だろうが秦郁彦だろうがかたっぱしから左翼認定するような連中は、左翼からみればもうギャグでしかないんで、むしろ保守を自認する人々こそなんか手を打つべきでしょう。 それにしてもひどいなぁ…と思うのはこういうやつ。 18 名前: 名無しのオプ Mail: 投稿日: 06/02/25(土) 21:50:15 ID: uCrBmQIl >>16 別に京極夏彦氏個人のイデオロギーにまで口を挟む気はないが、 作品中で無批判に左翼思想を垂れ流すというのは如何なものかと言ってる。 本宮ひろしの「国が燃える」がどうなったか知っているか? (後略) 22 名前: 名無しのオプ Mail: sage 投稿日: 06/02/25(土) 23:09:34 ID: N3PhE7Lc あったか、
右翼のみなさんは、陛下の大御心にかなう判決がでたことを祝ってください。私のような左翼は高裁でひっくり返るのを心配しておくことにしますので。 で、小泉首相の最後の仕事(の一つ)がこの判決へのコメントで、「法律以前の問題じゃないでしょうかね。人間として、国旗や国歌に敬意を表すというのは」と語ったと報じられている。「法律以前の問題」ということで、まるで法律によるまでもなく普遍的に妥当する規範であると言わんばかりだが、もちろんそんなことは認めない人間がいるからこそ、こういう訴訟が起こっているわけである。これを前提したうえで 1) つまり、「日の丸への起立、君が代斉唱」の強制に法的根拠がない、ということでいいんですか? 2) 「人を殺してはいけない」のは「法律以前の問題」だろうと私は思うが、しかし殺人犯を裁き、罰するためには法に依らねばならないですよね? という二つを問うておく。「法律以前の問題」で
1. 認知科学と倫理・概説(Mark JOHNSON 1998による) 1.1. なぜ認知科学は倫理(学)にたいして含意を持つのか? 道徳の伝統、道徳理論はすべて、「心のはたらき方」についての特定の見解を前提としている。それゆえ、今日において人間の認知に関する主要な知識源である認知科学は道徳哲学にとって次の2つの点で決定的な重要性を持つ。→心のはたらきに関する「である」と道徳性の「べし」をつなぐ。認知科学は個別の状況において「いかに行動するか」を明らかにするわけではないが、道徳的な理解に貢献する、すなわち人間の本性はどのようなものであり、また知的、批判的な道徳判断、道徳的行動に必要なのはなにかを明らかにすることを通じて、規範的な意味合いを持つようになる。 a) まっとうな道徳の体系は概念、推論、および道徳心理moral psychologyに関する理にかなった想定に基づいていなければなら
別件に時間を取られて先延ばしにしてきたがとりあえずメモとして書き始める。ある程度まとまったらタイトルも書き換える予定。 「ララビアータ 田島正樹の哲学的断想」の「左翼の言語戦略(1)」、「左翼の言語戦略(2)」、「左翼の言語戦略(落穂ひろい)」を読んで。 「左翼の言説戦略(1)」の冒頭で言及されている『読む哲学事典』の「保守主義と左翼」では、「左翼」と「右翼」が次のように定義されている。 (…)祖国が直面する危機を、その政治的共同体自身の内部の問題として捉え、それ自身を、常に潜在的に亀裂や対立を内包するものと見る立場を、左翼という。それに対し、祖国そのものは元来分裂を含まぬ統一体であると見なし、それゆえ、祖国の危機はもっぱら外からのもの、外敵によるものと見る立場を、右翼と言う。 (206ページ。原文の強調を省略) この定義の特徴は、「所得の再配分に積極的かどうか」による定義や、私が時々用
ここでのやりとりのなりゆきで、かつて月刊誌『マルコポーロ』が「ナチ「ガス室」はなかった。」という記事を掲載し、サイモン・ウィーゼンタール・センター等の抗議をうけ、結局廃刊に至ったという事件にまつわる事柄が問題になっております。 この事件については、個人的にそれどころじゃない状態だったので(問題の1995年2月号は1月17日発売)リアルタイムでは「へぇ、そんなことがあったの」といった程度の印象を抱く余裕しかなかったのですが、振り返って考えるならば「編集長がアホ」というのが結論です。そもそも、本職は内科医という西岡昌紀が書いたこの記事自体、「ガス室」否定論(ホロコースト否定論)の定番をなぞっただけで、なんら新味はなかったわけです。ナイーブな人がホロコースト否定論の言説に初めて接触して「ええっ、そうだったのか!」と思ってしまうのはまあ世間に時々あることなのでしかたないともいえますが、日本を代表す
事情がよくわからない方にとってはまったく面白くないはなしで恐縮です。「id:lovelovedog」という文字列に心当たりのない方はスルーしてください。 「まとめ」を追記 サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が『文藝春秋』の記事に抗議するにあたって、あらかじめ『文藝春秋』ないし抗議対象となった記事の筆者に対して「この英訳は正確か」とお伺いを立てていなかったということ(ただし、お伺いを立てていなかったということはまったく立証されていない)に関してネチネチと文句を言っている人物が、私のこのエントリのタイトル、 「なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気づかないのか」(マタイ七・三、ルカ六・四一)(追記あり) にこんないちゃもんをつけてきました。 ダイアリのタイトルが「別に目の中の梁の大きさ比べをしているわけではないので。ていうかそのテキストは誤訳でしょ」、
これも一つ下のエントリ同様書くかどうか悩んだのですが、やはり書いてしまう(というかアップロードしてしまう)ことにします。安倍晋三らが祝電を送った統一協会の教典、『原理講論』についてです。言うまでもないことですが、詐欺的な勧誘や犯罪的な商行為を行なわないかぎり、統一協会およびその信者には好きなことを好きなように信じる自由が憲法的に保障されています。さらに特定の宗教団体が特定の政党、ないし政治家を支持して自らの望む社会を実現しようとすることもまた、憲法によって保障された権利です。しかし他方で、国民は特定の政党ないし政治家にどのような団体がどのように影響力を発揮しているのかを知る権利があり、ある政治家が提唱する政策(例えば性教育や男女共同参画社会への批判など)とその支持母体との関係を知る権利があります。 なお、統一協会はとある国に起源をもつ宗教ですが、ここでの問題は日本の政治家と宗教団体との関係
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