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ブックマーク / krafty.jugem.jp (11)

  • Krafty | 小説を書くことは恥ずかしい

    自分の場合読んだの感想を書くことはそう恥ずかしくないのだけど、小説を書くことはなんだかとても恥ずかしいことのように感じてしまう。文章の上手下手の問題ではない。自分の文章が下手であるとしても、の感想に関してはそれ自体自分以外のものを対象にして自分を語っているところがある。つまり、題材として語っているのはあくまでで、自分というものはそれにくっついた状態での感想として現れる。だから冷静に書けるし、あらかじめ「これはを読んで感想を書いたのであって、自分のことを直接書いたわけではない」と済ませることが出来る。 小説の場合はストーリーが題材として存在していて自分はそれにくっついている……となれば話は簡単なのだけど、そのストーリーの設定やら話の転がし方やらそのものが自分の中から生まれるものであって、つまりは自分は箱庭を作っている。箱庭の配置にその人の特徴が現れるように、作品そのものが否応なし

  • Krafty | 橋本治『ああでもなくこうでもなく』

  • Krafty | 村上春樹氏がフランツ・カフカ賞を受賞

    ミクシィ内でのニュースで知ったのだけど、村上春樹氏が「民族文化の重要性を喚起することなどに貢献した作家に贈られる文学賞」(夕刊フジの記事より引用)であるフランツ・カフカ賞を受賞したらしい。過去の受賞者がノーベル文学賞を受賞していることを考えれば、村上氏が日文学史においては三人目のノーベル文学賞受賞者になる可能性はこれでますます強まった、ということになるのだろう。 かくいう自分が村上春樹氏の作品に出会ったのは高校一年生の頃だった。 それまで自分の読書の好みはあまり固まっておらず、一応は読んでいた記憶はあるのだけど意図的に読むというよりはただ何となく読んでいたという程度のものでしかないので、中学生になるまでどんなを読んでいたのかも実はよく覚えていない。家の棚には色褪せた『ロードス島戦記』が五巻まであるので、多分これを読んでいたのだろうとは思う。大体その程度だ。 だから村上春

  • Krafty | 人は全てを見渡すことは出来ない

    実戦サブカルチャー講義 阿部 嘉昭 http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060304/1141466851 http://d.hatena.ne.jp/amiyoshida/20060306/1141648272 上述したエントリを読んで、思い出したことがあった。まずそのことについて書いてみたい。 批評家の阿部嘉昭氏の著作に『実戦サブカルチャー講義』というものが存在する。これは2002年に刊行されたもので、その前年に刊行された『精解サブカルチャー講義』の続編である(とはいえ、この書物だけを読んでも特に問題はない)。2000年の後期に立教大学で阿部氏が行った講義の草稿として、全十一章で構成されている。直に学生たちに語りかけているかのような平明な文章なので、扱われているトピックに知悉していなくともそのスリリングな分析の中に引き込んでい

  • Krafty | 私的抑圧

    細々とアマチュアとして小説を書くようになって一年余りが過ぎた。来ならもっと早い時期に書き始めたかったのだけど、いざ書こうとしても肝腎なところで躓いてしまっていた。今でも若干そういう部分はあって、それは何かというと「自分の作品は人に見せられる代物なのだろうか」「こんな作品を見せて恥ずかしくないだろうか」「そもそも自分は何故小説を書きたいなどと思ってしまうのか」という、書くことの動機と書かれるものを人に提示する度胸の問題だった。 自意識過剰である、とは自分でも思っている。別に下らない作品を書いたところで酷評を浴びればそれで済むのだし、そこから奮起して次の作品を書こうという動機を得るきっかけにもなり得る。質の高いものを書きたいならそういう試行錯誤を経るしかない。しかし自分はそういう試行錯誤の出始めが異様に怖かった。それは何故かというと多分高校生の頃に何となく手に取った渡部直己氏とスガ秀実氏

  • Krafty | 父親から受け継いだ癖の一つ

  • Krafty | 役立たずとしての音楽鑑賞

  • Krafty | 海猫沢めろん『左巻キ式ラストリゾート―ぷにふごEX』

  • Krafty | ジョナサン・バーカー/麻生えりか訳『テロリズム―その論理と実態』

  • Krafty | 中原昌也, 高橋ヨシキ, 海猫沢めろん, 更科修一郎『嫌オタク流』

    オタク流 中原 昌也, 高橋 ヨシキ, 海沢 めろん, 更科 修一郎 自分は音楽が好きなので音楽の話を枕代わりに始めたい。例えばパンク・ロックはギターのコードが数種類しか弾けなくともステージに立つことが出来るという事実を証明した。もちろん、スターになれる人間なんてごくわずかだ。しかし重要なのは彼らは幻想を植え付けられたのではなく、実際に彼らに楽器を持たせてステージに立たせることでクリエイティヴィティを発露する機会が与えられたということだ。80年代になるとDJカルチャーが生まれる。ターンテーブルが二つ。そしてマイクロフォン。譜面が読めなくても構わないし、格的に音楽の勉強をする必要もない。ただ表現したいという衝動と多少の知恵があれば、誰でも何かを主張出来る。もちろん、この世界でもスターになれるのは当に少数の人間だけだ。しかし、ただ与えられたものを受け取るだけで満足するのではなく

  • Krafty | 私の愚行を赦して欲しい(さもなくばいっそ殺して欲しい)。

    http://shrak.blog17.fc2.com/blog-entry-221.html http://d.hatena.ne.jp/VanDykeParks2/20060123/1138029223 上記の二つの記事を読んで連想したのは、大西巨人氏が渡部昇一氏から受けた批判である。その記事自体を読んでいないので正確にその後に起きた論争をトレースすることは出来ないのだけれど、大筋を辿るならば大西巨人氏の息子・大西赤人氏が生まれた際に赤人氏が血友病患者であること、そして血友病として赤人氏が生まれる可能性は高いことが前もって知られていたこと、そして赤人氏の治療に高額な医療費が使われていること、この三つを以って「血友病の子が生まれる可能性のある場合には子をもつことを控えるのが『神聖なる義務』だ」と渡部氏は批判した。これによって論争が始まり、病を有しているという意味においてあらかじめ

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