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ブックマーク / charsbar.hatenadiary.org (2)

  • そういうのは読むとは言わない - Charsbar::Note

    こう、あからさまに釣りだよなあというものに釣られるのもナンだなと思いますが。 デザインスキルを身につけたい人が、デザインやユーザビリティーのを読むのにけっこうな時間を費やしているのを見ることがある。 そういう人と話してみると、インタラクティブデザインの質がどうたらアフォーダンスがどうたら認知科学的アプローチがどうたらと、話がやたらと抽象的で、実感がわかない。 (中略) で、なんでこんなことになるかと考えてみて、その人は、を「読んで」いるからなんじゃないだろうかと思ったわけですよ。 http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060222/1140570225 逆だ。正反対だ。読んでないから言葉にならない。眺めているだけだから、読みが足らないから言葉にならない。 を「読む」のは娯楽であって、勉強ではない。学習ではない。理解でもない。 なんていうか、

    そういうのは読むとは言わない - Charsbar::Note
  • 所有と帰属の違いが問題なのではないのだ - Charsbar::Note

    my wifeがI have a wife.を含意すると認める限り、所有と帰属の違いは心理的な負担感の違いでしかない。万が一にもそのレベルの話をしているのであれば、それは単なる言葉遊びだ。 そうなのだ。実は「の」には「所有」だけではなく、「帰属」の意味も含まれている。そして後者の概念は、所有と似ていて実は正反対に近い概念でもある。私「の」を、私は所有してはいない。しかし彼女は確かに私に「帰属」していて、そして私は彼女「の」夫である。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50375002.html 歴史的に見れば長らくというものは可処分財産のひとつにすぎなかった、という話はさておくとして、少なくとも英語という枠組みで、あるいは同種の言葉でものごとをとらえようとする限り、「私の」と言ったときの「私の」はまず間違いなく所有の意味だ。それはge

    所有と帰属の違いが問題なのではないのだ - Charsbar::Note
    nisemono_san
    nisemono_san 2006/02/16
    所有権を正当化するのは一体何かについて。
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