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2014年9月12日のブックマーク (4件)

  • 鈴木志郎康 - Wikipedia

    1952年頃から詩を書き始める。1954年、日大学第一高等学校卒業、1961年3月、早稲田大学第一文学部仏文専修卒業。在学中の1959年に高野民雄と雑誌「青鰐」を刊行。1961年から1977年までNHKに16ミリ映画カメラマンとして勤務。 1963年頃から個人映画を作り始める。ジョナス・メカスの影響を受け、日記的な作品を多数制作。この年に詩集「新生都市」が発刊され、注目を浴びる。 1964年、天沢退二郎、渡辺武信、菅谷規矩雄、藤田治、彦坂紹男、秋元潔、山道子、野沢暎、高野民雄とともに、雑誌「凶区」創刊。「凶区」には、のちに金井美恵子が加入するが、1971年に廃刊宣言号を出す。鈴木は廃刊以前に脱退。1968年、2冊目の詩集『罐製同棲又は陥穽への逃走』によりH氏賞受賞。第IV部に「処女プアプア」が登場、鈴木志郎康といえば「プアプア詩」と思われていた時期もあった。破壊的な口語表現とエログロ描

  • 鈴木志郎康Web公開映像作品リスト

    WELCOME to Shirouyasu Web Video 鈴木志郎康「『個人映画』の映像表現」 「作品名」 WebVideoのURL 「日没の印象」 http://www.vimeo.com/1904120 1975年の作品。シネコダックを買って「個人映画」を作ろうと意識した最初の作品。古いカメラを中心に日常生活が記録される。普通の生活に人の真実がある。 「比呂美ー毛を抜く話」 http://www.vimeo.com/2502167 1981年の作品。現在、詩人・作家として大きく成長した伊藤比呂美さんが、26歳の時にカメラに向かって、毛を抜くという行為に快感を覚えるということから、身体論を語り、詩を朗読する。 「物語以前」 http://www.vimeo.com/2369376 2000年作品。「物語」を作るのではなく、「物語」という観念を頭に置いて、日常の情景を綴って構成した作

  • Hassankonakata: やさしい神様のお話

    アッナーブルスィー師の廟とモスク アルスラーン師の墓 アルスラーン師の廟とモスク(表紙用) アッナーブルスィー師の墓、墓に詣でるハサンとハビーバ ユースフ師とハビーバ 著者の前書き この翻案を始めるきっかけを作ったのは、わたしの姪でした。ヴィザの話をしたのも、当時不登校気味だった姪が自分の居場所を見つけあぐねているのかと思ったからでした。彼女は、実家のすぐ近くに住んでいて、わたしが里帰りする度「ありがたい話」をせがむ彼女の母親とは別のムスリマの妹と一緒に小学校に上がる前からわたしのイスラームの話を聞くのを楽しみにしてくれていました。 ある年の冬、わたしは、わたしの先生(アッシャイフ・ユースフ・ムヒーユッディーン・アル=バッフール)からこのを紹介され、一緒に読み、その直後に里帰りした際、話の素材に取り上げることを思いつきました。 今、読み直してみると最初から終わりまで著者の言わんとすること

  • 「アルドノア・ゼロ」の火星カタフラクトの名前の由来まとめ

    現在放送中(第一期2014年7月~9月、分割二クール予定)のロボット戦争アニメ「アルドノア・ゼロ」の敵方ロボット火星カタフラクトは名前がそれぞれ、ギリシア語・ギリシア神話を元にした火星の地形の名やギリシア神話の名が多く使われています。(実際天体に関する名称はその多くがギリシア神話由来ではありますが)その元ネタについての簡単なまとめです。 前記事「火星観測・探査の簡単な歴史」はこの記事の前置き用に書いたものでしたが、長すぎたのと、筋とはあまり関係ないので分割しました。お読みいただいておくとこの記事の火星の地形関連の記述はよりわかりやすくなるかと思います。 火星カタフラクトの由来ニロケラス初っ端からこれどうやって勝つの・・・と絶望感を与えてくれた火星騎士みんな大好きトリルラン卿のカタフラクト「ニロケラス」の元ネタは火星の「ニロケラス地溝帯 (Nilokeras Fossa)あるいはニロケラス

    「アルドノア・ゼロ」の火星カタフラクトの名前の由来まとめ