「江戸時代の大名の領地・組織・構成員の総称」は一般的に「藩」と呼ばれるが、これを公式に「藩」と呼ぶようになったのは、実は明治時代に入ってからのことである。 大名領の公称は「領分」「領地」「知行所」などであり、「藩士」は通常○○家中とか〇〇家家来、「藩主」は水戸侯など領地名+侯と呼ばれた。 「藩」と言う言葉は元々は中国周代の封建制度下で周王から領地を与えられた諸侯を指す「藩屏」「藩鎮」から取られた言葉で、幕府から領地を与えられた諸侯という意味で、元禄年間以降に一部の儒学者の間で私的に用いられているにすぎなかった。 公式に「藩」と呼ぶようになったのは慶応四年(一八六八)閏四月二十一日に明治新政府が出した政体書である。この政体書で旧幕府の直轄地のうち城代・京都所司代・奉行の支配地を「府」、それ以外を「県」、諸大名の領地を「藩」と呼び府藩県三治制が敷かれた。 このとき、「藩」という儒教色の
日本国憲法の国民の三大義務というと教育、勤労、納税ですが、元々旧大日本帝国憲法には勤労の義務というものは無く、日本国憲法になって勤労の義務が権利とセットで盛り込まれることになりました。wikipediaではその勤労の義務の由来について、こう書いてあります。勤労の義務 – Wikipedia この規定の由来については諸説あるが、一番有力なのは、元農林大臣の石黒忠篤や代議士の竹山祐太郎が、二宮尊徳の「報徳思想」の精神に則って、日本国民が自らの勤労の力で太平洋戦争で荒廃した祖国を再建させてゆこうという発想から提案されたものだと言われている(橋本伝左衛門・日本農業研究所『石黒忠篤伝』(1969年、岩波書店))。なかなか興味深い記述ではあるんですが、帝国議会会議録データベースを漁ってみると勤労の義務を提案していたのは竹山代議士ではなく、穂積七郎という議員。かなり熱心に勤労の義務を盛り込むべく主張を繰
大部の本書を読んだ私の短い感想は、労使関係の歴史、または労働運動の歴史も、資本主義の周期的反復性に制約されているということを通史を通じて理解できるということだ。 このことは非正規問題でごく簡単に説明できる。非正規労働者とは高度経済成長の臨時工であり、またそれら非正規も臨時工も、明治初期の資本主義黎明期から戦時中にむけて存在した工場労働者のことなのだ。当時の工場労働者は、職員に対して低く処遇がおさえられていた。 ということは非正規労働者とは歴史的に形成されたものともいえる。 多くの論者が非正規問題を論じるが、それらを読むより、本書の通史を先に読んだほうが非正規問題は理解できるし、ほかの労働問題も理解できる。 労働運動に関係する人間はもっていなければいけない本である。 にほんブログ村
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