2010年3月27日のブックマーク (5件)

  • [科学に佇む心と身体] - FC2 BLOG パスワード認証

    管理人からのメッセージ 某A社との契約を切られた関係で、大幅な更改を行わねば公開できない状態に陥った ため閉止しました。 ご連絡は http://sciencebook.blog110.fc2.com/ もしくは https://twitter.com/endBooks/

    njamota
    njamota 2010/03/27
    「痛覚と、前頭葉を切り離す脳手術「前頭葉白質切断…」を受けた人間は、「痛みが気にならなくなる」」「「なんぼか激痛がうざいだけ」でふつうに暮らせてしまう」苦痛とつながってるのは、痛み以外にもあるという話
  • 日本の中高の英語教育がマイナスにしかならない件について - My Life After MIT Sloan

    人が英語が出来ない、というのは、実は世界中でネタにされている、ということが意外と知られていないらしい。 ということが、おとといTwitter英語ネタで盛り上がったときにわかった。 英語がちょっと出来るだけで、海外で、 「日人でこんなに英語で話せる人、初めて見ました」 「日人にしては英語すごい上手ですね」 と驚かれるひとは世の中には多い、ということで経験談が色々Twitterでシェアされた。 私もそうだ。 私、渡米前はTOEFL8回受けても、Speaking22点が最高点でしたから、正直大したことは無い。 押し出しの強い性格だからイイタイコトはちゃんと言えるけど、別に超ぺらぺらなわけではない。 しかし、その(程度の)英語力のせいで、海外で日人だと思われたことはほとんど無い。 で、日人だ、というと、「えー、でも移民でしょ?」とか言われる。 アメリカ人が聞けば、訛りがあるので長くア

    njamota
    njamota 2010/03/27
    学校の英語の成績は悪くなかったけど、英語ほとんどしゃべれません。中学高校の貴重な青春の時間を返してほしいです、文部省のエラい人。
  • 「実感」至上主義について - Apeman’s diary

    途中から怒りが主たるモチベーションになっていたのだけれども、「実感」至上主義というけっこう重要な問題が浮上してきたようだ。予定している「靖国」についてのエントリとも関連するので、練りきれていないところもあるがざっと書いておく。 あの物語、「バターン死の行進の最中に弱ったアメリカ兵にキンピラゴボウを与えたせいで死刑になった日兵」は、表立って語られていない暗黙の相関者として「好意を理解しない、復讐心に燃える米兵」「日文化も理解せず、ゴボウをべさせただけで死刑にしたインチキ裁判の関係者」を存在措定していることに注意しなければならない。そしてこの「物語」はガメ氏の「涙」とそれに対する読者の「感動」を通じて「捕虜虐待という野蛮を裁く文明」という構図*1を逆転させ、ヒューマニズムを体現する日兵と野蛮なアメ公という構図をつくり出す。後者の構図においては虐待された捕虜の「実感」は復讐心という悲

    「実感」至上主義について - Apeman’s diary
    njamota
    njamota 2010/03/27
    不快感至上主義を包含する概念。
  • リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground

    今日は少し、色々な文脈を縫い合わせるようなお話をしてみたいと思います。例によって長いですが、ご関心の向きはしばしお付き合い下さい。 1.立場で争うことの不毛 あなたは、目指している方向性や考えそのものは大して違わないのに、感情的対立や形式的な事柄(手続き、名称、身分、肩書き、…)に発するい違いなどのため、相手との合意に結び付かない、といった経験をしたこと(あるいは見聞きしたこと)は無いでしょうか。友人や恋人との間で、家庭で、学校で、職場で、地域で、複数の人が何らかの関係を取り結んで事にあたろうとする場面において、これは往々にして発生する事態であると思います。「合意など必要無い」と独力で目的を達成できる人であれば問題ありませんが、多くの人にとっては、広く合意を取り付けておくに越したことはありません。 円滑な合意形成を図るにはどうしたらよいか。この点について研究を行っている交渉学では、「立場

    リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来 - on the ground
    njamota
    njamota 2010/03/27
    公共的決定は多様な「利害」の序列付であるという前提で,ニセ科学批判を「「立場」に固着して「利害」を無視する不毛な対決主義の典型」「科学の政治利用」と指摘.まとめは抽象的でよくわからない.
  • 血液型の話をすることくらいはいいのか? - NATROMのブログ

    ある特定の対立遺伝子Aを持つ人は、将来、癌に罹る可能性が高いとしよう。ある人が遺伝子Aを持っているという理由だけで、就職を断られることがあってもよいだろうか?新入社員を採用する際に、遺伝子Aを持っているかどうかを調べることを義務付けている会社があってもよいだろうか?これは、ほとんどの人が、遺伝子差別であり、許容できないと考えるであろう。では、このような遺伝子差別がある社会において、酒の席で「そういや、お前、遺伝子Aは持っているの?」と尋ねることは許容できるか?「私は差別するつもりは毛頭ない」と断った上でなら、遺伝子Aについての雑談を公的な場で発表することは許容できるであろうか? エントリーのタイトルを見たら、私が何を言いたいのか、読者の方々はわかっておられると思う。血液型が性格と強い関連を持つとする仮説は既に否定されているが、よしんば血液型と性格に関連があったとしても、血液型について安易な

    njamota
    njamota 2010/03/27
    良くないのはそうだとして、これだけ話が通じないのがなぜなのか、それを知りたい。それが分からないと、先に進めないと思う。