2011年4月8日のブックマーク (2件)

  • 倫理学的な科学コミュニケーション? - 発声練習

    kikulog:少ないものをどれほど減らしても多いものには影響しないわけでのコメント#14#15がおもしろい。 >「事故で大量に流れた」ほうが圧倒的に問題なんです。 きくちさんは倫理学で言うところの「帰結主義」と呼ばれる立場を当然の前提としてとっておられるんだろうと思います。何をしたかではなく結果としてどうなったかが大事だ、という考え方です。この考え方をとるなら、大勢に影響のない行為で責められるのは確かに筋が通りません。 これに対して、倫理学でいうところの義務論という立場であれば、結果の如何に関わらず何をしたかで行為の善し悪しが問われ、徳倫理学と呼ばれる立場では、どういう動機、心情でやったかということが重視されます。倫理学では、帰結主義よりも、これらの立場の方がわれわれの「直観」、無意識のうちに受け入れている倫理観に沿っているということがよく指摘されます。 義務論の考え方からすれば、意図せ

    倫理学的な科学コミュニケーション? - 発声練習
    njamota
    njamota 2011/04/08
    倫理学的には”どうなったか”と”何をしようとしたか”は別の評価軸としてどちらも有り。科学者が結果だけを取り上げて話をすると、意思を重視しようとする人たちと話が通じなくなる、という話。
  • 思考停止という概念について今思っていること - 諏訪耕平の研究メモ

    池田信夫 blog : 捨てる勇気 - ライブドアブログ Togetter - 「星アカリ( @akariakarin123 )「東京電力社員の子供を、全員がボイコットしなさい」」 僕はこのブログでたびたび「思考停止」という概念について言及してきた。あまり反応は得られなかったが,今やこの概念は僕の思考の中核を占めつつある。僕はなぜこの概念にこだわるのか。なぜかこの機会にちょっと書いてみようと思った。 大人は子どもを「ものを知らない」と馬鹿にする。有名大学に合格した人間はFラン大学に通う人間を馬鹿にする。経済学に精通する人間は,精通していないように見える政治家を馬鹿にする。 ここで「馬鹿」はどんな意味でつかわれているのか。それは「知識」だと思う。この国は多分「知識」を重視してきて,多くの知識を持つ人間を尊重してきた。知識を持つとはどういうことか。それは,多くの知識を暗記しているということ。簡

    思考停止という概念について今思っていること - 諏訪耕平の研究メモ
    njamota
    njamota 2011/04/08
    「僕は考え続けている人を支持する。悩み続けている人を支持する。僕には多くの子どもは馬鹿には見えない。彼らはおかしな前提には立たず,前を向き続けている」無自覚な前提に基づく決めつけこそ思考停止という愚。