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ブックマーク / johnetsu.hatenablog.jp (3)

  • 人間とコンピューターはどう違うのか - ライフ・イズ・カルアミルク

    「人間とコンピューターの知能はどうちがうんだろう」みたいなツイートを見かけたので、考えたこと書きます。 人間とコンピューターはどう違うのか 一言で言えば「アナロジーを理解できるかどうか」だと思う。コンピューターはアナロジー(類推・比喩)を理解できるのかどうか。 そもそもアナロジーの語源は「ana(反・類)+log(ロゴス=言葉・論理)」で要するに論理でないもの、論理に似たもの、ということになる。「アナログ世界の概念を、デジタル世界の申し子ことコンピュータが理解できるのか」という疑問を軸に以下考えます。 たとえば「初音ミクが歌う」という命題。 言うまでもなく初音ミクが発する音は(藤田咲さんの声を元にしてはいるものの)人工的に調整された電子音であって、その機械音のつながりを「歌う」という動詞で表現するのは、機械の動作を人間の行為に読み替えたもの、一種のアナロジーである。 現象だけ見れば、カエル

    人間とコンピューターはどう違うのか - ライフ・イズ・カルアミルク
    nkgt_chkonk
    nkgt_chkonk 2014/01/27
    この理屈で言うと機械学習とかはどうなるねんって話になるぞ
  • 「風立ちぬ」で宮崎駿は大人になった - ライフ・イズ・カルアミルク

    宮崎駿、引退ということで。 「この世は生きるに値するんだ」宮崎駿監督、引退会見全文 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/06/news133.html 「風立ちぬ」は巷の評、特に評論家のそれを読むと「『美しいものを表現したい!』という芸術家としての宮崎駿の業」あたりの結論が多いのかなと思います。それを前提にして「こんなもの監督のオナニーじゃねえか!」って怒ってる派と「いや、自分の信じた美を描くことこそ芸術家の使命なのだ」派に分かれてる印象なんだけど、これ、どっちも浅いと思いますね。たしかに一面の真実を指摘してはいるとは思う。思うけれど、どちらも一面でしかない。「宮崎駿はロリコン」くらい、一面でしかない解釈だと思う。 「美しいものを表現する」は宮崎駿が生涯に渡ってずっと追い続けてきたテーマであって、別に作にはじまった話ではありません。 な

    「風立ちぬ」で宮崎駿は大人になった - ライフ・イズ・カルアミルク
  • 句点がこわい - ライフ・イズ・カルアミルク

    句点を打つのってこわくないですか。 文章でもそうだし会話でもそうで・・・って理屈をこねようと思ったが今日はやめて、インテリぶったところがお前は鼻につくとディスられるのも毎度のことなので理屈オフで書きますよ、今日は。 ある程度長い文章を書くとき普通はピリオドを打ち一旦区切るべきところでわざとつらつらと文章を続ける、あるいは普通なら文章をなめらかに接続すべきところでバッサと打ち切る。ってことをするのが俺のたのしいライフワークなのだけど、これは何に似ているかというとEMINEMのフロウに似ているんじゃないかと思っている。おそらく最も知名度のある「Lose yourself(映画 8mileの主題歌。各自ググってください)」を例に引いてもわかるようにえっ、そこでブレスするの、とかそこでつないじゃうの、とか予想(無意識下の)を裏切って前へ前へ進んでいく、壁を1つ1つ乗り越えていく感覚が聞いていて非常

    句点がこわい - ライフ・イズ・カルアミルク
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