幼少時に神戸を離れ、熊本を経て東京へ。東京都立上野高等学校卒業後、武蔵野音楽大学へ進み、在学中から音楽活動を始める[1]。1980年には矢野顕子の産休中、YMO初の国内ツアー、「TECHNOPOLIS 2000-20」をサポート。その後、藤本敦夫とのユニット「カラード・ミュージック (Colored Music)」での活動を経て、ソロ・アルバムをリリースする一方、谷山浩子のアルバム・プロデュースや渡辺香津美MOBOバンドへの参加をはじめ、多数のアーティストと競演、映画、CMの音楽担当のほか、映画出演や小説執筆など活動範囲は多岐にわたる。 ピアノ以外での演奏上の特色に、外国語風のボイス・パフォーマンスがある。発声の形態は囁き、呟きの類からスキャット、シャウトに至るまで様々だが、意味を持たない音声があたかもヨーロッパ系言語の一節に聞こえ(有意な外国語詞と交錯することもしばしば)、楽曲に神秘的な