『常にこそ曇りもいとへ今宵そとおもうは月の光なりけり』(月岡芳年『月百姿』)前田玄以 前田 玄以(まえだ げんい)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての僧侶・武将・大名。豊臣政権の五奉行の一人。 天文8年(1539年)、美濃国に生まれた。『寛政重修諸家譜』によると前田氏は、加賀藩主前田氏と同じく菅原氏の一族として収録されているが、藤原利仁の末裔にして斎藤氏支流の季基が美濃国安八郡前田に住んで、前田氏を称したと伝わり、加賀前田家とは別流であるともされる。 若い頃は美濃の僧で、禅僧あるいは比叡山の僧とも伝えられている(『藩翰譜』)[1]。また尾張小松原寺の住職であったともされる(『武功雑記』)[注釈 1]。 後に織田信長に招聘されて臣下に加わり、信長の命令でその嫡男・織田信忠付の家臣となった[2][注釈 2]。 天正10年(1582年)6月、本能寺の変に際しては、信忠と共に二条新御所にあったが