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ブックマーク / aesthetica.hatenablog.com (2)

  • 日本記号学会大会「ゲーム化する世界」&当面の研究ビジョン - aesthetica’s blog

    次の週末、二松學舍大学(九段)で日記号学会の大会があります。 私は非会員ですが、パネルに呼ばれているので参加してきます。 今回、日記号学会は「ゲーム化する世界」という大会テーマを掲げています。人文系・思想系学会の先手を切って、ゲームを研究テーマとして正面から取り上げることに、一ゲーム研究者として、心より賛辞を送りたいと思います。 日記号学会第31回大会〜「ゲーム化する世界」 開催日:2011年5月14日(土)、15日(日) 開催会場:二松學舍大学九段キャンパス1号館 参加費:無料 5月14日(土) 14:30-16:00 【セッション1】 「マイコンゲーム創世記」 三遊亭あほまろ(庶民文化研究家)、吉岡洋(京都大学) 16:15-18:15 【セッション2】 「オンラインゲームにおける共同性がもたらすもの」 香山リカ(立教大学)、田中東子(十文字学園女子大学)、小池隆太(米沢女子短期

    日本記号学会大会「ゲーム化する世界」&当面の研究ビジョン - aesthetica’s blog
  • aesthetica sive critica - どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?

    以前、田崎英明さんと話していて興味を持った話題に「どうしてSFに携帯電話のイメージが欠落していたのか?」というものがある。80〜90年代のSFやアニメではテレビ電話に類するイメージは盛んに出てくるが、携帯電話はまったくと言って良いほど出てこない。それはどうしてか、という問題だ。 もちろんテクノロジー的には携帯電話はトランシーバーの延長であり、それはSFにつきものである(腕時計に向かって喋るとか)。だが、街や駅で多くの人が歩きながら携帯で話をしている、という現代日の日常生活の情景は、どんなSFにもアニメにも出てこない。つまり、今日のような携帯電話文化は、SF的には予測不可能だったということになる。なぜか? この問題に興味を持って以来、いろんな人と会う度に話題にしてきたが、そのなかから何となくヒントになることが浮かんできた。 それは、携帯電話によるコミュニケーションはそもそも人類に必要がなか

    aesthetica sive critica - どうしてSFは携帯電話を予想できなかったのか?
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