「パーソナル・コンピュータ」の概念を提唱したとして知られるアラン・ケイ氏に会う機会を得た。パソコンの未来を語る同氏の熱弁ぶりは健在だ。ムーアの法則に従い、半導体技術が3万倍に進歩したにも関わらず、ユーザーの実感としてコンピュータ・システムの性能向上はわずか50倍にすぎないと憂える。コンピュータ・アーキテクチャの進むべき方向性について、同氏の鋭い分析と将来の夢を3回のインタビュー連載でお届けする。 (聞き手=ITpro発行人 浅見直樹,写真=栗原克己) ―― コンピュータ技術の進歩にはめざましいものがありますが。 果たして、そうだろうか。必ずしも進歩していない部分もある。例えば、メモリのデータ転送速度はさほど高速化していない。また、マイクロプロセサも依然としてシングル・プロセサのアーキテクチャから脱却していない。これは、技術的な問題というよりも、コンピュータ・ベンダーが大きな変化を望んで
著者:ケヴィン・ケリー ( Kevin Kelly ) 訳 :堺屋七左衛門 この文章は Kevin Kelly による "Triumph of the Default" の日本語訳である。 デフォルトの勝利 Triumph of the Default 現代の生活において、重要なのに真価を認められていないものの一つが、デフォルトである。「デフォルト」とは、もともと1960年代に計算機科学で既定の標準値を表すのに使われた技術的概念である。デフォルトという言葉は、たとえば、このように使う。「このプログラムのデフォルトでは、年月日の年は4桁ではなく2桁の数字で示すものとする。」今日ではデフォルトという概念は、計算機科学の枠を越えて文化全体に広がっている。些細なことのようにも見えるが、このデフォルトという考え方は、テクニウム(文明としての技術)にとって基本的なものである。 デフォルトは生活の一部
2つ前のエントリーのコメント欄、書いていたら、寝付けなくなってしまったので、 先週書きかけだったエントリーを仕上げました(ただ、時間に余裕がある方は2つ前のコメント欄も読んでみてください。何か、おもしろいものが浮かび上がりつつある気がしています)。 私が、まだMACPOWERという月刊誌で「ニュースの横顔」というコラムを書いていた頃からの抱いていた「思い」の1つ、それは、日本でソフトウェアエンジニアも含め、モノヅクリをしている人々に、そのやり方をもう1度見直して欲しい、ということ。 「こんな機能をつけたら売れるんじゃないか?」 「お、いいね。じゃあ、それやってみよう」 という作り方では、稀に一発屋になれることはあっても、本質的にすごい製品にはならない。 たくさんある製品の中で目立つことも必要ならば、1度、製品が成功した後、その世界観を押し広げていけるような戦略というか、製品そのものが含有す
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