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ポスコロに関するnoharraのブックマーク (7)

  • 2010-09-28

    三つの「国」がある。 A・戦争犯罪者を自らの手で処断する事のなかった日民族は、燦々と白日の明るさの中で繁栄をきらめかせている。 B・民族反逆者を自らの手で裁ききれなかったわが同族は、今もって逆光の中で黒々とうごめいている。 C・1960年代初頭までも、私の生きるよすがであった北共和国は今、人から謗られ嫌われ、事の是非はどうあれ国際的にも爪はじきされる国となってしまいました。*1 詩人金時鐘は2003年、日韓国北朝鮮のことをこう言った。「私の八月」と題された講演で。1945年の8/15に日は敗北し体制が変わった。しかしそれは共和制なり民主主義なりを国民が自力で獲得したというには遠いプロセスである、ことを時鐘は、自身の胸の痛みとして60年間抱えつづけてきたようだ。*2 「半世紀に渡る日の侵略、植民地統治の非は糾(ただ)されることがなかった。」*3 東京裁判でも触れられず、その後も公

    2010-09-28
    noharra
    noharra 2010/09/28
    北共和国の抑圧を知りそれを糾弾することは、すなわち日帝の犯罪の隠蔽を動機にしているのだ、という理屈への批判。
  • 【報告】異議申し立てられた記憶における犠牲者意識の民族主義:国家による追悼とグローバルな説明責任 | Blog | University of Tokyo Center for Philosophy

    noharra
    noharra 2010/04/22
    過去の事実について徹底した反省をせよ。そしてなお。例えば韓国の人の植民地支配されたという犠牲者意識、そういった犠牲者意識は世界中あらゆるところに蔓延していて、ナショナリズムを正当化しさらに助長する。
  • なぜポスコロに関心を持ったかというと - ものろぎや・そりてえる

    なぜポストコロニアリズムに関心を持ったかというと、きっかけは『民俗台湾』について調べ始めたこと。戦後になって“大東亜共栄圏”イデオロギーや優生学などを批判するという観点から『民俗台湾』も取り上げられた(→詳細はこちらを参照のこと)。 しかしながら、戦時下という時代風潮の中で雑誌を継続して出し続けるためには当局に迎合する発言もしなければならないし、むしろ『民俗台湾』の同人は皇民化政策には反対していた。ところが、戦後の研究者は誌面に現れた文字面だけを読む。当局の検閲を意識せざるを得なかった表現をとらえて、いわば揚げ足取りをするような形で、『民俗台湾』も植民地批判という議論の中に組み込まれていった。 誤解しないで欲しいのだが、“植民地批判”そのものに異議を唱えているわけではない。私が言いたいのはそういうことではなくて、“植民地批判”の議論の枠組みそのものが、戦前とは異なる形ではあるが、戦後という

    なぜポスコロに関心を持ったかというと - ものろぎや・そりてえる
    noharra
    noharra 2009/11/03
    “植民地批判”の議論の枠組みそのものが、戦前とは異なる形ではあるが、戦後という一時代においてもまた学知的に制度化されている。その構造的に生硬な視点で過去を振り返ると、必然的に断罪の口調を帯びる。
  • 哲学/中国(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again

    残響の中国哲学―言語と政治 作者: 中島隆博出版社/メーカー: 東京大学出版会発売日: 2007/09/01メディア: 単行 クリック: 7回この商品を含むブログ (15件) を見る 最近読み始めた中島隆博『残響の中国哲学』「はじめに」からメモ; ちょうど「近代」という概念がそうであったように、いったん哲学が登場するやいなや、「東洋」と表象された地域にあった学は、前哲学もしくは非哲学として定義された。「中国に哲学はない」と述べられたゆえんである。その上で、中国的な準哲学(思想とも呼ばれる)や中国における哲学(とくに論理学)が「発見」されていったわけだが、このように哲学を中国のなかに見出していく営為それ自体は実に哲学的であった。なぜなら、哲学は、内容におけるある種の知のあり方である以上に、哲学とその他者を区分けする方法的なパラダイムであったからだ。中国哲学は、そのパラダイムとしての哲学を誕

    哲学/中国(メモ) - Living, Loving, Thinking, Again
    noharra
    noharra 2009/06/03
    中国哲学:それは、自らを〈哲学の他者〉として定義した上で、哲学的内容をそこに見出そうとする哲学的実践にほかならなかった。中国哲学は、哲学的であろうとすればするほど、哲学であってはならなかった。
  • 【歴史】「米国は天皇を処断しなかった。日本が米国依存を抜け出すには自ら戦犯を処罰すべき」コーネル大酒井教授 | 極東バーニン!

  • 極東ブログさんへの16の質問など(※この件のやりとり纏め) - morimori_68の日記

    ■ロバート・スペクター『アマゾン・ドット・コム』(日経BP社)[bk1,amazon]を読む。山形浩生さんの解説が実に親切である。何章を読めばいいか、読むときどこに気をつけて読めばいいかが懇切丁寧に書いてある。の解説はかくあるべしと思った。 ■極東ブログさんへの16の質問(注:この件に関する3日分のやりとりをまとめ、finalventさんの書き込み内容を赤い色で表示しております。) 遅ればせながら、小熊英二と太田朝敷に関する補足(↓内容は以下に引用、赤い色で表示) ”「結局〜皇民化の推進者」といった一方的な裁断ではなく、彼の言説の意図、効果、限界などを、距離を取りつつ客観的に位置づける” とmorimori_68さんがご指摘されるのはわかります。小熊英二についてその言及が妥当であるとも思います。ただ、私は2点の問題を感じているのです。 1つ目は、ポストコロニアル論やカルチュラル・スタディ

    極東ブログさんへの16の質問など(※この件のやりとり纏め) - morimori_68の日記
    noharra
    noharra 2009/04/24
    アルファブロガーとして名高いfinalvent氏は、ただの ほのめかしの魔術師にすぎないのではないか??
  • 2009-02-14

    「ヨーロッパ」の対置語は「オリエント」なんだけど、歴史的にはオスマン帝国の影響を受けて、非オスマン帝国な自己を「ヨーロッパ」と規定してその構図をひっくり返そうとした始まりがヨーロッパ帝国文化ってハナシで、そゆ裏返しみたいなことが延々と。。。てなことで、前回id:hizzz:20090204の「裏返し」 前回書いたとおり、ドイツは加害者の「過ぎ去らない過去」を負から正のアイデンティティに変えて体制化していったように、イスラエルも又、ホロコースト被害者たる過去価値を変容させて受け止めようとした。 当初シオニズム主流派のイデオロギーは、ヨーロッパのユダヤ人が無抵抗のまま強制収容所に送られガス室入りしたことを、弱く臆病で常に受け身でしか行動しない「ゲットー・メンタリティ」と見下した。イスラエルに逃れてきた生存者は、当地生まれの若者達に臆病者・意気地無しという意味を込めて「サボン(ガス室行きにカモフ

    2009-02-14
    noharra
    noharra 2009/02/14
    何度も思い出すべき名言:ガーヤットリー・スピヴァッグは日本とイスラエルを指して「ユーラシア大陸の両端にある二つの不条理」と称した。
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