友人NT氏が送ってくれたパンフの文章の一部を紹介する。私は17歳の時から自称吉本主義者であったが、〈大衆の原像〉という言葉はよくわからず現在まで来た。 その言葉の魅力(魔力)の一側面を見事に伝えているので、書き写してみた。 沈黙の核あるいは〈関係の絶対性〜大衆の原像〉 ある事柄の渦中において、自分の認識が行き詰まるときにはいつも表題の言葉との出会いを受け止めなおしたいと感じている。 ほとんどの時間は黙って生活の瑣事に没頭しているが、ある関係的な場面で思索や発言や行動を強いられる時、自分の選んでいる特定の立場がいかに必然的に感じられるとしても、その認識の位置をいったん問題の源泉からの偏差として捉えて見ることは不可欠である。言葉にならないで沈み込んでいる心のうねりのような状態に対して、自分の表現を開いて行こうとする試みは、様々な条件にしばられた特定の場面を、より本質的な場面に変換して行く条件で