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対話に関するnoharraのブックマーク (1)

  • 友人だと思っていたのにすぐに不和になるのは何故か、ネットでは? - 弯曲していく日常

    言葉を用いて対話している以上、ふだんわたしたちがコミュニケート(理解しあって)していると思っているのは単なる思い過ごしでないのではないか。なぜって相手がその言葉をどう理解したかは推測でしかないのだから。 日常生活では言葉の意味より文の意味が大事で、文の意味は現場で著しく制限されている。事中には「おしょうゆ取って」という趣旨が発話される可能性はとても高く、どんな語彙がそこに使われようとそう理解しておけば良いといったことがある。 ところが抽象的な会話、国家とか政治とかイデオロギーとかプロパガンダとか倫理とか戦争責任とか実存とかいう話だと、ここに示した数個の言葉をどのように配置して、世界を理科しているかは人によって違う。卓の例えで言うと、日料理なのかイタリア料理なのか中華かエスニックか、黄色く卵焼きかもしれないかのようにみえるものでも、それによって全く違う。それと同じことが抽象的な会話では

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