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2009年9月24日のブックマーク (2件)

  • Circumcision

    割礼儀礼の現場から オンラインエッセイ(2000.1.16) 活字媒体未発表 割礼儀礼の現場から:割礼儀礼について 静岡県立大学国際関係学部 湖中真哉  割礼(circumcision)とは成長期に性器の一部を切除する慣行のことです。男性の割礼の場合には、陰茎包皮を切除し、女性の割礼の場合には、陰核全体あるいはその一部を切除することがみられます。割礼の慣行を持つ民族は、イスラム教圏、ユダヤ教圏、アフリカ、オーストラリア等に分布しています。    サンブルの社会には割礼の習慣があります。現在でも、大人になるまでには、男性も女性もほぼ100%の人々が割礼を受けていると思われます。このウェブ・ページで御紹介するのは、1999年の夏に行われたサンブルのある少年の割礼儀礼のアウトラインです。この割礼儀礼は執行に一ヶ月以上を要し、数限りない様々な

    noharra
    noharra 2009/09/24
    廃絶に反対しているのは私ではなく、サンブルの人々自身である:女子割礼反対論が問うているのは、いまある「人々自身」が女性の主体性を阻害しているのではないか、ということ。その問に答えていない。
  • PledgeCrewのブックマーク / 2009年9月23日 - はてなブックマーク

    ⇒2009-09-18 ⇒http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090919/p1 またしても、駆け足かつ雑駁な議論になりますが。 一時的に倫理と道徳を弁別せずに書きますが。倫理道徳の根拠を下部構造に求める。そうした考え方はあります。一神教に発する文明は、マルクスがヘーゲルの「逆立」を批判したように、またニーチェが糞味噌にこきおろしたように、倫理道徳の根拠を「上部構造」に求めてきました。結果、教会の権威は、時に科学という試行を抑圧した。 「上部構造」は、人間とサルを切り離す場所に成立しました。マルクスを継ぐ誇り高き唯物論者であるレヴィ=ストロースも、また一神教の代替物としての天皇批判を継いだ阿部謹也も、私たちの倫理道徳の場所を、下部構造に求めた。それは、資主義の暴虐が「社会」を超えて世界を席巻した20世紀において、彼らが持ち合わせた問題意識でした。

    noharra
    noharra 2009/09/24
    id:PledgeCrew 全く同意します。 元のid:Apemanさんの記事に対しても7割は同感しております。