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2010年4月29日のブックマーク (7件)

  • 『儀礼の力』出版 - 夏への扉、再びーー日々の泡

    ルチア・ドルチェ、松郁代編『儀礼の力 中世宗教の実践世界』(法蔵館、5000円)がようやく出版の運びとなりました。これは、2006年、立命館大学で行われたワークショップでの報告を中心に、報告者が論文をまとめたもの。私は聖天縁起で報告したのですが、ほかのことがかきたくて夢想感得図と夢告という「儀礼」について書かせていただきました。編者の松郁代さんは中世文化史の若き研究者です。お世話になりました。 地味なですので、ぜひこれをごらんになった方に手にとっていただきたく思います。 目次だけ掲げておきます。 刊行のことば   川嶋将生 序章 日宗教研究における儀礼学の論点 ルチア・ドルチェ、松郁代 第一部 第一章 「呪詛神の祭文と儀礼ーー「呪詛祭」の系譜といざなぎ流「すその祭文」をめぐって」 斎藤英喜 第二章 「声明の美的表現力と権能ーー法華せん(漢字が出ません)法の受容から」 大内 典 第

    『儀礼の力』出版 - 夏への扉、再びーー日々の泡
    noharra
    noharra 2010/04/29
    ルチア・ドルチェ、松本郁代編『儀礼の力 中世宗教の実践世界』(法蔵館、5000円)
  • 虹とモンスーン (だった場所) 【報告】4.21 「戦時性的強制被害者問題解決促進法」早期成立求める院内集会

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 4月21日、「戦時性的強制被害者問題解決促進法案提出」提出十周年記念集会が、午後三時から参院議員会館で開催された。 2010年4月10日、日軍「慰安婦」として性的被害を強制された女性たちの尊厳と名誉が著しく害された事実に謝罪し、彼女らの名誉の回復をはかるための法案「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律(案)」が岡昭次、江田五月、輿石東、竹村泰子、千葉景子、円より子の各議員(民主党)を発議者として参院議長に提出されてから十年が経過した。同法案は、2001年以後、民主、共産、社民三党の共同提案として2008年まで八回にわたり提出されたが、いずれも「審議未了」で廃案になっている。 同法案は「政府は、できるだけ速やかに、かつ、確実に、戦時における性的強制により戦時性的強制被

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    noharra 2010/04/29
    2010年4月10日、日本軍「慰安婦」として性的被害を強制された女性の尊厳と名誉が著しく害された事実に謝罪し、名誉回復をはかる法案「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律(案)」が参院に提出されて十年
  • 「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収) - 一酔人経綸問答

    ・鳩山首相の掲げる「新しい公共」。「NPOのみならず、消防団やPTA、商店街、会社など多様な公共の担い手が、国や地方の政府とも連携、協力しながら、居場所と出番のある社会を作ること」が豊かな「公」を実現するという(鳩山首相4/26ツィッターより)。 ・だがこの「新しい公共」の議論で根的に欠落しているのは、「公共性」が孕む権力性・暴力性への認識である。みんなで仲良くハッピーなら「公共性」云々などそもそも不要である。多様で対立する意見・利害・思想から何を「公共」として取捨選択するのか、その取捨選択のアートこそが「政治」であることは子供でも知っていることではないのか。政治家ならなおさらこうしたアートに通じているだろう、「友愛革命」なんて実は「高貴な嘘」だろうと思っていたが、鳩山政権の迷走を見るとそうでもないらしい。そうなるとこの「新しい公共」の行方も怪しいように思える。 ・この「公共性」の孕む権

    「たたかう民主主義」は公共性の友か敵か――毛利透「自由『濫用』の許容性について」(『自由への問い:(3)公共性』所収) - 一酔人経綸問答
    noharra
    noharra 2010/04/29
    毛利透「自由『濫用』の許容性について」(阪口正二郎(編)『自由への問い:(3)公共性 自由が/自由を可能にする秩序』岩波書店、2010年.)は、この表現の自由と公共性の問題
  • 時効廃止・延長法案成立 | 中山研一の刑法学ブログ

    もっともっと議論されるべき「公訴時効」制度の改正問題が、あっという間に国会を通過し、改正案は4月27日に可決され、即日施行となってしまいました。政治と金や普天間基地の問題などで他の法案審議が進んでいない国会で、ほとんど実質的な論議もないままに重要な法案が通ってしまうという「異常」さには、驚きをこえて怒りを覚えます。 しかも、民主党の千葉景子法務大臣が記者会見で「犯罪被害者や国民の期待に答えるべくがんばった」と喜んだといわれるに至っては、開いた口が塞がらない思いがします。夏の参議院選挙を控えて、夫婦別姓や婚外子差別に対応する民法の改正案などについて国会審議の見通しが立たない中で、一つの「成果」を上げ、法務省内でも安堵の空気が広がったといわれているのです(2010年4月28日朝日夕刊)。 今回の改正の立案と審議過程と結論には、明らかに特定の犯罪被害者団体の強力な要請活動と、「犯人の逃げ得は許さ

    時効廃止・延長法案成立 | 中山研一の刑法学ブログ
    noharra
    noharra 2010/04/29
    今回の改正法の効果についてさえ、それが果たして被害者の遺族のためになるのか、犯罪の捜査と証拠の保管にどのような影響を及ぼすのかという点さえ不明、専門家さえも時流に流された「感情立法」の典型!
  • 【ハーバード白熱授業】殺人に正義はあるか-Lecture1 犠牲になる命を選べるか【講義ノート】 - 腐フェミニスト記-801 Feminist Diary-

    日記今年の4月からNHK教育午後6時から7時で「ハーバード白熱授業」という番組がはじまりました。この授業はハーバード大学でとても人気のある「政治哲学」の授業だそうで、あまりに人気があるのでWEB公開になっています。もちろん英語ですが。そこで、英語が読めない私などは諦めムード・・・・・しか〜〜〜し!NHKが翻訳して流すというではないか!まってたぜ! 犠牲になる命を選べるか1.1 路面電車の暴走(運転手の場合)あなたは時速100kmのスピードで走っている路面電車を運転しているが、ブレーキが壊れていることに気付きました。前方には5人の人がいて、このまま直進すれば間違いなく5人とも亡くなります。横道にそれれば1人の労働者を巻き添えにするだけですみます。あなたならどうしますか?この場合、多くの学生が「横道にそれて1人の労働者を巻き添えにすることを選ぶ」理由:1人を犠牲にして、5人を助けたほうがよいか

    noharra
    noharra 2010/04/29
    哲学は私たちはすでに知っていることを見知らぬことに変える。哲学は人を社会から阻害させ衰弱させる。とすれば、社会・共同体の力が強すぎる国、日本では哲学が必要!
  • 横板に雨垂れ 黒田寿男の国会質問-「日米安保条約」と「日韓保護条約」

    中野重治全集の解題を書いている松下裕氏によると、中野重治は「政治活動をする人間として文学をやりたい」とどこかで述べているそうである。私はその文章を直接見てはいないが、こつこつその全集を読んでいると、中野重治は確かにそうであったろうということが実感される。戦前・戦中、書きたくても書けないことが胸に積もりに積もっていたのだろう、敗戦後5、6年間の中野重治の舌鋒鋭い言葉には迸るかのような勢いを感じる。天皇制、東京裁判、戦争責任の問題、等々、さまざまな問題がなんともヴィヴィッドな筆致で幅広く取り上げられ、批評の対象にされている。阿波丸事件、管季治事件などということも、どこかで断片は聞いたことはあっても詳細については全然知らなかったものを、中野重治全集によってそれらの問題が当時の社会でどのように受け止められていたのかなどについて私も多少知ることができた。他にも同様のことは数多くあり、次の例もその一つ

    noharra
    noharra 2010/04/29
  • 神社本庁が気多大社との法廷闘争に敗れる。他の神社の後追い離脱の可能性も

    皆さんは神社庁という組織をご存じですか。現在は一宗教法人に過ぎませんが、いかにもお役所っぽい名前から想像できるとおり、実際には国と密接な関わりをもった、神社の中央機関というべき存在です。世界的にも政教分離が進んでいると評価されている日ですが、宗教政党の存在に加え、この神社庁の存在はまさに政教分離のアキレス腱といってもいいでしょう。 しかし今、官僚組織と中央集権が問題になる中、各地の神社が神社庁に反旗を翻しつつあります。あの日光東照宮や明治神宮も既に神社庁を離脱しており、今回ご紹介する気多大社もその一つです。 【47News】最高裁、神社規則の変更認める 羽咋市の気多神社訴訟 「縁結びの神様」として知られる石川県羽咋市の気多神社(通称気多大社)の役員9人が、神社庁から離脱するため変更した規則を認めなかった文部科学相の裁決を取り消すよう求めた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷は2

    noharra
    noharra 2010/04/29
    気多大社は能登の国一の宮で、折口信夫父子碑のすぐ近く、海に開けたロケーションが特徴的な、おそらく日本最古の神社の一つ。神社本庁は国家神道に回帰しており憲法違反、さっさとなくなれ。