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ブックマーク / h2.hatenablog.com (2)

  • 佐藤弓生さん歌集『薄い街』 - japanese artist file

    歌人の佐藤弓生さんから、歌集『薄い街』をご恵贈いただきました。 私が感じるところのあった歌を、ここにご紹介しておきます。 http://amzn.to/fbpN3g 「コラージュ・新世界より」 雨。こめかみにふりかかり見あげれば桜のあばらあらわなる冬 ひとりまたひとり幼い妖精を燃やす市あり夜と呼びたり ひとのためわが骨盤をひらくとき湖(うみ)の底なる浴槽はみゆ 花器となる春昼後刻 喉に挿すひとの器官を花と思えば もう声が出ないわたしの頭(ず)の上をまたいでゆきぬ青空紳士 ひらいたらただただしずか そしてまたたたんかたたん各駅停車 最初の歌に出てくる「あばら」の語は、この歌集でわりと多用されている語なのですが、アダムのあばらを折って女性が作られたとする聖書のエピソードを彷彿とさせます。佐藤さんは関西学院大の出身で、私の何級か上の先輩にあたるので、どこかにそういうミッションスクール特有の感覚が

    佐藤弓生さん歌集『薄い街』 - japanese artist file
    noharra
    noharra 2010/12/14
    ひとのためわが骨盤をひらくとき湖(うみ)の底なる浴槽はみゆ  佐藤弓生『薄い街』より
  • 中国文学者、福嶋亮大さんのつぶやき - japanese artist file

    中国文学者の福嶋亮大さんが、近年流行する「クールジャパン」的な美学、そしてその源流にある若冲ら「奇想の系譜」の画家たちについて、非常に面白いことを書いていらっしゃいます。もとはツイッター連投ですが、例によって一続きのテクストにします。 @liang_da 何でもいいですが、たとえば16世紀の狩野永徳(まぁ彼は桃山時代だけど)について、17世紀の『朝画史』で「怪怪奇奇」と評される。これは辻惟雄言うところの又兵衛や若冲の「奇想の系譜」とも絡むわけだけど、しかし「怪怪奇奇」って別に日特有の美学じゃないんですね。 実際、16〜17世紀の中国もいってみれば「奇想」の時代であって、董其昌(樋口注:とう・きしょう、明代末の文人画家)や傅山(樋口注:ふざん、明末清初の文人)あたりの書画家は「奇」の作家であり、また演劇や文学についての評論でも文字通り「怪怪奇奇」って言葉が使われたりもする。「怪」をプラス

    中国文学者、福嶋亮大さんのつぶやき - japanese artist file
    noharra
    noharra 2010/10/06
    16〜17世紀の日本と中国が、比較的似た美学を持っているということは、ちょっと主要な文献を読めば分かることなのですが、意外にそのことが示されていない。:アニメの軽薄さの起源も例えば封神演義にある。
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