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落語に関するnoiehoieのブックマーク (11)

  • 桂米朝 - 茶漬間男

    艶噺の一つ。今はなぜか演目が「二階借り」となっています。

    桂米朝 - 茶漬間男
    noiehoie
    noiehoie 2010/02/13
    これ、噺家の方に上品さがなけりゃエグイ話なのに米朝はんにかかったら、さらっとした巧い話になる。
  • 立川談志の芝浜 (2007年12月18日よみうりホール) - 葡萄の蔓

    鬼気迫る「芝浜」この日の「芝浜」は、後日(同年12/21)立川談志自身が、 『先日の「芝浜」は不思議なくらい旨く出来た。』 『あれは神様がやらせてくれた最後の噺だったのかも知れない』 と、語ったほどの「真迫の芝浜」だった。 東京生まれの人間だったら12月は「第九」じゃない、「芝浜」だね。 2007年12月18日、念願の談志の「芝浜」を聞く事ができた。 12月の談志の高座に誘ってくれる人がいたので、東京よみうりホールへ行って来た。(一階の前から2列目、中央付近の上席だったよ。) ====================================================================== とうとう壊れたんじゃねえか? この日の「芝浜」は、家元らしい「語り」迄削ぎ落としたような、面白い出来だったね。 毎度のように、話し出しが億劫な風情で、とりとめもない枕から入り、

    立川談志の芝浜 (2007年12月18日よみうりホール) - 葡萄の蔓
    noiehoie
    noiehoie 2009/12/15
    聞きたかったなぁ。
  • 【落語】立川談志『紺屋高尾』

    立川談志『紺屋高尾』

    【落語】立川談志『紺屋高尾』
    noiehoie
    noiehoie 2009/11/23
    家元による「紺屋高尾」。家元らしい解釈。家元らしい口跡。
  • http://www.rakugonokura.com/htmls/links/index.html

    noiehoie
    noiehoie 2009/11/23
    寄席のリンク集。
  • 【落語】_三遊亭圓生_死神

    ひろいものです。

    【落語】_三遊亭圓生_死神
    noiehoie
    noiehoie 2009/11/23
    柏木の円生の「死神」。なんと動画。で、なんと人形町の末広。で、さらに高音質。すげー貴重。
  • らくごのニコニコ-ニコニコミュニティ

  • 落語 「祇園祭」 春風亭一朝

    noiehoie
    noiehoie 2009/11/22
    一朝師匠は過小評価されていると思う。東京に住んでるんだったら、一朝師匠を聞くためだけに寄席通いする価値があるぜ。
  • 桂米朝 代書

    2chの米朝スレを見たらトッコンショーメー!の話で軽くファビョっていた(夏休みごろ)なので出してみた。動画はない。mylist/7646807

    桂米朝 代書
    noiehoie
    noiehoie 2009/11/21
    米朝師による「代書」。先代米団治三十三回忌での高座とのことで、米団治が昭和12年にこのネタを書いた時のプロットそのままでの口演。故に後半、図らずも朝鮮人強制連行についての貴重な資料となっている。
  • 三遊亭円楽さんが死去…76歳肺がんで : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    テレビ系の演芸番組「笑点」の司会などで知られた落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、名・吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが、29日午前8時15分、肺がんで亡くなった。76歳だった。 東京都台東区の寺に生まれ、1955年に六代目三遊亭円生に入門。全生を名乗り、58年に二つ目、62年の真打ち昇進と共に五代目三遊亭円楽を襲名した。 端正な顔立ちと博識で人気を得て、60年代の演芸ブームでは立川談志、古今亭志ん朝、橘家円蔵と「寄席四天王」と呼ばれた。78年に円生とともに落語協会を脱退、翌年の円生の死後も一門を率い、円楽一門会の名で活動を続けた。 また、テレビ番組に積極的に出演し、「笑点」は初回から参加。いったん落語に専念するが、82年に司会者となり、2006年5月に勇退するまで、老舗番組の看板として活躍した。 晩年は、腎不全、脳こうそく、胃がんなどの病気と戦い、07年には落語家を引退。

    noiehoie
    noiehoie 2009/10/30
    ついに来たか。/もうこれで家元の夢だった「志ん朝が志ん生を継ぎ、圓楽が圓生を継ぐ。で、俺が小さんを継ぐんだ」というのは、完全に不可能になっちまったんだなぁ。やべえ。俺、今、職場なのに泣いちゃってるぜ。
  • 柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去

    柴村仁が嫌いである。 いやまあ、人は「会えばいい人」なのかもしれないが、彼女の書いたものはことごとく嫌いなものが多い。 ぼくが読んだ限りにおいて、彼女の小説のスタイルについては次のような印象を持っている。つまり誰かが死んだこと、または何かが失われたことがまず強烈なインパクトとして存在していて、その事実を中心に物語が回っていく*1。『プシュケの涙』がまさに典型的だが、『我が家のお稲荷様』もそうで、あの話の構造は要するに死んだ母親の縁で胡散臭い奴らがわらわらやってきて、死んだ母親の話をして帰っていくというものだろう。死んだ母親が物語の中心にあって、ことあるごとに母親が死んでいるということが思い出さされるのだ。 それで、なぜそういった喪失を中心とした物語(くーきょなちゅうしん、とか言いたければ言えばいい)が嫌いかというと、そうした物語はたいてい「見下ろす視線」というものを構造として保有している

    柴村仁、見下ろす、落語 - 過ぎ去ろうとしない過去
    noiehoie
    noiehoie 2009/09/03
    今頃気づいた。家元のスタンスへの理解が皮相すぎるのはさておき、あの程度で「見下ろす」というのなら、これはまさに「「見下ろす奴らが嫌い」という上から目線」になってしまうんでないの?
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    noiehoie
    noiehoie 2009/05/15
    本誌のP52-53にわたる、立川談笑の「薄型テレビ算」の紹介が、広瀬 和生の「この落語家を聴け」による解説そっくりな件。盗作なのかな? 家に帰ってから検証する。
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