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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (2)

  • 50年生きてみると - finalventの日記

    生きているもんだという驚愕感がある。 私は20歳まで生きられないなと思っていた。ティーンエージで自殺してもなんら不思議でもなかった。ただ、50歳まで生きて見ると、そうでもない、いわく言い難いものが自分を守っていたとしか思えないものがあると思うようになった。スピリチュアルになってしまうのもどうかと思うけど、今どれほど生きづらい人でも今気がつかない大きな力のようなものをいつか感じる可能性はあると思う。 邱永漢も言っていたが、青春で無謀な人生を選んでも、身体は50歳までは生きられるがそのあたりで死ぬ。むちゃくちゃやっても50歳まで生きられるという人生もあるのだろう。下天とはそういうものなのでしょうね。信長も謙信も50歳で終わりと思って生きていたいようだし。 無謀な人生というのは、意外とテンプレで、飲む・打つ・買う、つまり酒、賭け事、女。それと加えるなら自意識過剰。 自意識過大というか自分の才能に

    50年生きてみると - finalventの日記
    noiehoie
    noiehoie 2009/03/09
    "男女というのは30代に入って、生物的なら子どもをなしてみたいな時期になってから、魔の時期がある。" その通りだな。 今まさに、その魔のような時期にさしかかり、この色欲という魔物と呻吟しながら対峙している。
  • なんかね - finalventの日記

    私は海外で生活したことはないけど、なんとなく日的な環境からはずれることがあって、そのせいなのか、あるいは原因と結果が逆で、日的なものがなんとなくイヤだったからなのか、いずれにせよこの年こいちゃうとどうにも引き返せないけど、なんか日の精神風土というのがよくわからないなというのがある。「あれ? 普通の日人はそう考えるのですか?」みたいな。ただ、じゃあ、自分が日人離れした発想しているかというとそうでもないくらいの自覚はあるけど。 ネットとかの言説で、ぶくまとかで可視になっただけかもしれないけど、正論といいうのが、それ自体で成立していなくて、グループというか、うんだうんだワシら、みたいの反響というかそういう、共感目線で成りっている感じがして、なんか萎えるというか。 私は、このエントリには共感する、このブロガーには友愛を覚える、というのはあるけど、エントリやブロガーを中心に、うんだうんだワ

    なんかね - finalventの日記
    noiehoie
    noiehoie 2008/09/27
    そのとおり。さらに「うちの共同体は『世間様』という大共同体と同じですよ」的な雰囲気を醸し出さないと、共同体ごと村八分にあうのがこの国。故に党派性を持った運動や言説はこの国でマジョリティーになれない。
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