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コンテンツと現象と学び方に関するnoitseuQのブックマーク (2)

  • 問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada

    マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を「いま、そこにある現実」と捉えるのは難しいことではない。それほどに私たちは時代の変曲点にいる。 一方で、その感覚を内面化する方法は人それぞれだ。直感や自らの体験から敷衍して何かを感じる人もいれば、『侍女の物語』が書かれた1980年代という"あの時代"を振り返り、自分たちが何を見ていたのか、何を感じていたのか、あるいはどう振る舞っていたかということを内省的に潜っていく方法もあるだろう。 ただし、私たちにできることは意外と表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式に則って自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。それにそこまではしない。人とはそういうものだ。私たちは流動体のように変形しながら周囲の流れの渦の中で生きているし、あまり何かを深刻に受け止めすぎることをよしとしない風潮に身を任せる方が楽

    問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada
    noitseuQ
    noitseuQ 2024/02/24
    私たちにできることは表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式を使い自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。適時変形しながら流れの大渦の中で生きる私達…
  • ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 | ゲンロンスクール

    ゲンロン批評再生塾も、ついに四期目を迎えることになった。 すでに修了生の数は百名を越えており、総代のみならず各界で書き手として活躍を始めている者も多い。 三期やってきての成果はどうかといえば、立ち上げ当初の期待と不安を思い起こせば、まずは上々と言ってよいのではないかと思う。 だが、もちろん、まだまだ足りない。 そもそもこのプログラムは、私たちが仮に「批評」と呼んでいる営みと試みを「再生」することが目的だった。 そのためにはむろん「批評」とは何であるのか、何であり得るのか、何であるべきなのかを、あらためて問い直すことが必要となる。 そのうえで、その「批評」なるものを再び生み直すことを求めてきたわけである。 それは「再生」だけでは駄目なのだ。 第一、そもそも「批評」は過去においても十分な意味と意義を持っていたことがあっただろうか? 「批評」は、存分に生きていたことがあっただろうか? 影響力のあ

    ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 | ゲンロンスクール
    noitseuQ
    noitseuQ 2023/10/27
    土井伸彰 僕にとって書くことは苦しみですが、最高の喜びを与えてくれるものでもあります。それは、「わたし」が「わたしたち」になる広がりの喜びであり、逆に「わたしたち」から「わたし」が掘り出…る発見の喜び
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