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思想と文字数のために文を歪に関するnoitseuQのブックマーク (2)

  • 問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada

    マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』を「いま、そこにある現実」と捉えるのは難しいことではない。それほどに私たちは時代の変曲点にいる。 一方で、その感覚を内面化する方法は人それぞれだ。直感や自らの体験から敷衍して何かを感じる人もいれば、『侍女の物語』が書かれた1980年代という"あの時代"を振り返り、自分たちが何を見ていたのか、何を感じていたのか、あるいはどう振る舞っていたかということを内省的に潜っていく方法もあるだろう。 ただし、私たちにできることは意外と表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式に則って自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。それにそこまではしない。人とはそういうものだ。私たちは流動体のように変形しながら周囲の流れの渦の中で生きているし、あまり何かを深刻に受け止めすぎることをよしとしない風潮に身を任せる方が楽

    問いに向き合う著者の真摯な姿勢:マシュー・ウィリアムズ『憎悪の科学』|Makoto Okada
    noitseuQ
    noitseuQ 2024/02/24
    私たちにできることは表面的だ。wikipediaを見たり、他の論評を参照したりはするかもしれないが、知の様式を使い自分の中に浮かんだ問いを深めていくことは容易ではない。適時変形しながら流れの大渦の中で生きる私達…
  • 大人と子どもの間の言葉の混乱 | (株)心理オフィスK

    S,フェレンツィの1933年の論文「大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉」についての要約と解説を書いています。彼は当時の心的空想論が中心の精神分析の中で心的外傷を神経症の原因の中心に据え、それに伴って精神分析家の能動性や逆転移など技法論の改革を行いました。 図1 シャーンドル・フェレンツィの写真 1.大人と子どもの間の言葉の混乱-やさしさの言葉と情熱の言葉(1933)の要約 (1)患者側の精神分析家への同一化について 神経症における外傷要因を今まで以上に重視していくことが必要である。なぜなら、外的要因を深く考慮しないと、患者の素質や体質に安易に原因を求めることになるからである。精神分析作業を通じて個々の症状の改善がみられたとしても、それに代わって、患者たちは夜間の不安に苦しみ、激しい悪夢を見るようになっていった。 このことが毎回繰り返されるため、分析時間は外傷的事件の反

    noitseuQ
    noitseuQ 2024/02/13
    精神分析家は菩薩ではない。当然自分のことでも悩んでいる。このような状況でも患者に全力を尽くすことを誓うことは我々の職業的な偽善である。ゆえに患者に素直に精神分析家自身の心の中の障害を伝えるべきである。
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