これを読んで、その論理性の欠如に少なからず驚いた。さらに、それを多くの人が支持していることにも驚いた。多くの人が、その論理性の欠如に気づくことすらできず、この論考を褒めそやしているのだ。 そこでこの記事では、上論考の「論理性の欠如」について具体的に指摘し、それを正した上で、論理性が欠如した理由についても分析・考察していきたいと思う。 論考では、冒頭にこのようなテーゼが掲げられる。 私は、この本の最終章で若きアスリートに向けて、このようなメッセージを綴りました。「スポーツで感動は与えられない。」 こう書かれると、読者としては「なぜ感動を与えられないか?」という論が次に展開されると予想するところなのだが、しかし直後、その予想はあっさりと裏切られる。 さて、皆さんは、この「感動を与える」という言葉を改めて聞いて、違和感を覚えないでしょうか。 ここで氏は「感動を与える」という言葉を初めて使用してい