タグ

<宮崎駿>とインタビュウに関するnokiieのブックマーク (11)

  • もののけ姫はこうして生まれた 第1章パート1‐ニコニコ動画(秋)

    2007年08月10日 06:18:49 投稿 もののけ姫はこうして生まれた 第1章パート1 久しぶりに見たらめちゃイケコメの多さにワラタ。公開当時社会現象になった宮崎駿監督作品「もののけ姫」のドキュメンタリーです。ジブリ作品の中でも好きな部類に入るのですが、賛否両論が激しい映画です。1章ではコンテ・原画・動画・美術。2章は1章の続きと久石譲・米良美一。3章はアフレコ等。低画質で申し訳ありません。パート2→sm807491 ~第2章パート1→sm814594~ ~第3章パート1→sm817229~

  • 「天空の城ラピュタ」の初期構想と、アニメへの思い。 - たまごまごごはん

    テレビ再放送の「天空の城ラピュタ」を、DVD持ってるのに見ました。何度見てもラピュタ最高だな! 恐ろしいことにセリフを全部空で言えること気づきました。いやいや、みなさんもそうだと思いますが! 今になって改めてみると、フラップターのデザインとか、ロボットの登っていく塔の見せ方とか、シータのヒロインオブヒロインっぷり、当によくできてるなーとじわじわ感心します。ラピュタの住人達もどういう設定なのか気になるなあ。 一番好きなのはシータ奪還シーン。絵と音楽と演技の調和があまりにもすごすぎて、もう間違いなく100回以上見ているのに泣けて仕方がない。音楽が少し声より大きめになっているのがうまいもので、まさに血沸き肉踊りまくり。 ああもう!アニメって面白いな!最高だな! しかし、シータもかわいいけれど、最萌えはムスカですよね、やっぱり。こんなにときめく悪役なかなか描けないワ。 さて、そんなムスカ大佐です

    「天空の城ラピュタ」の初期構想と、アニメへの思い。 - たまごまごごはん
  • Miyazaki Hayao talks about Conan

    宮崎駿「コナン」を語る ジムシィが気楽になれるのも、ダイスがまともなことをやってみせるように なるのも、皆コナンの無言の助けがあったんだと思い込んでるんです、僕は。 見出し 初演出としてのコナン 原作との兼ね合い 一話について コナンの設定 ラナへの思い入れ モンスリーとダイス レプカ 漫画映画の浄化作用 (作成中; 以下の項目はまだ…) 漫画映画を目指して 〈初演出としてのコナン〉 −− 宮崎さんにとって「コナン」が初めての演出作品ということになりますが、 振り返ってみていかがでしたか? 宮崎 やっぱり、しんどかったですね。僕はこれまでパクさん (高畑さん) と 一緒にいましたからね。パクさんを見てると、ああ、演出なんて やるものじゃないな、と思えてね。重荷を一身に背負いますから。 僕が演出を心掛けなかったというのは、それを見てるからですね。 −− でも、これまでもコンテは手掛けてらっし

  • 電源を入れてください~都市ノォト~ 押井ルパン

    (お流れになった)押井版ルパン3世(劇場)の制作開始を前に開かれた座談会 押井守×宮崎駿×大塚康生 鼎談 「監督・押井守」決定の経緯 AM 「ルパン」の監督に押井さんを推薦したのは宮崎さんだという風に聞いているのですが,まずそのへんの事情から 宮崎「カリオストロが終わった時点で,「もうルパンはいいや」と僕自身は結論を出してしまった。その理由は,僕自身が中年になっていくに従ってルパンもちゃんと中年になっていく。なんかこのままやっていくと,ルパンは初老になってしまうんじゃないかと思って(笑)。それと,いまもしルパンをやるとしたら,泥棒は簡単には出来ないだろうなって気がしたんです」 AM というと? 宮崎「日常の中に田中角栄に代表されるような小悪党ならいっぱいいるし,サラ金に行ってガソリンに火をつけるといったことが日常的におこるようになっちゃったでしょう。だからルパンのやることが夢物語でなくなっ

  • ログイン - niconico

  • ログイン - niconico

  • ログイン - niconico

  • ログイン - niconico

  • ■NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿 - ★究極映像研究所★

    ◆監督の脳ミソの釣堀 スペシャル(2007年3月27日放送) 自分の脳ミソの中に釣り糸を垂らしているようなもんだから。もともと何もないのに、ただむなしく釣り堀に釣り糸を垂らしているんじゃないかという恐怖はいつだってある。それはおれの意識の領域じゃないところで決まるんだもん。 アイデアじゃないんだよ。アイデアを出すだけでいいんだったら、当に楽な商売だよ。幾らでも出せるよ、何十通りも。こういう出し方もある、ああいう出し方もある…とか、映像的にこっちのほうがパンチ効いているぜ!とかね。 でも、違うんだよね。自分でも分からないけど、なんとなくおぼろげにあそこのゴールに行きたいなと思いながらつくっているわけだけど、ゴールに行く道筋がわからないんですよ。 最近、脳と芸術の関係を考えていたので、この宮崎のコメントがすごく興味深かった。 意識と、脳の活動の差異。まさにそうした構造を的確に芸術家が表現した

    ■NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿 - ★究極映像研究所★
  • 宮崎インタビュー

    ※このインタビュー原稿は「TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1」(97年10月1日/アスキー発行)に掲載されたものです。ただし、掲載時タイトルは編集部で付けたもので、上記タイトルが原文のものです。 ―今回の作品は「宮崎駿監督の集大成」と宣伝で流されていますが、監督御自身はどうお考えですか。 宮崎 ぼくはそういう意識は全くないです。 ―「全く新しい作品を撮っている」という意識ですか。 宮崎 うーん。そういうカッコいいこと言わなきゃなんないんですかね。(笑) 困りながら始めたんです。いつも困っているんですけど、今回は困り方の度がひど過ぎて…しかし、避けるわけにはいかない、というところまで来ているからやろうということで。何も企画が通ってしまったからとか、会社が命令したからとか、そういうことじゃなくて、自分自身が「作るならこれをやるしかないだろう」というところに来たとい

  • YouTube - Broadcast Yourself

    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

  • 1