東京都町田市にて学校法人玉川学園が運営する玉川学園高等部に在籍し、同高等部を卒業した。その後、東海大学教養学部に入学するも中退した。 大学中退後にアメリカ合衆国に渡り、ジョージタウン大学の英語学校EFLプログラムを受講した。日本に帰国後は、喜朗の秘書として活動した。2000年からは衆議院議員公設第一秘書として父・喜朗を支えた。また、翌年には小松青年会議所の理事長にも就任した[3]。 しばらくは父である喜朗の秘書として活動していた。喜朗が首相時代に様々な発言を「失言」としてマスコミに叩かれた際には、「おやじに使ってはいけない言葉のリストを作って持たせろ」と母親の智恵子に語っていた。喜朗は「あの野郎、いつのまにか俺より偉そうになりやがって」と言いながらも、まんざらでもない風だったと、母である森智恵子は語っている[4]。 その後、石川県議会議員を目指すことになる。2006年3月に投開票が行われた