さしも凄凄(せいせい)たる折柄 この剴切の答へありしうちにうち愕き、儂白ひけらく 「實(げ)に實(げ)に かかる一語こそ、正しく唯ある薄倖の人より耳にして いまだに得忘れぬ言葉なれ。 その人 惨たる災殃うち重なり やがては、希望(のぞみ)を悼む誄詞ぞ 己(わ)が歌ごゑに かの鬱悒の疊句(くりうた)をこそ添へたりしか、夫れ、 「またと またとなけめ」 てふ疊句(くりうた)をば。 ……………………………… これは黄眠道人こと日夏耿之介の訳によるポォの「大鴉」の一部である。錚々たる字面と文体、荘重幽玄な作風、「ゴスィック ローマン体」というに相応しい訳詩である。 私が狷介孤高を持って聞こえる日夏耿之介の名前を知ったのは澁澤龍彦の本であったかも知れない。中井英夫の「虚無への供物」の中にこの「大鴉」がでてくる。実際に日夏耿之介を初めて読んだはこれだろう。 近所の本屋では当然日夏耿之介の本は並んでおら