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共和主義に関するnornsaffectioのブックマーク (2)

  • リバタリアン・パターナリズムと東浩紀の懸念 | FERMAT

    リバタリアン・パターナリズムと東浩紀の懸念 August 10, 2009 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 東浩紀が週刊朝日の彼のコラムで、最近邦訳がでた、Cass Sunsteinの“Nudge(邦題:『実践行動経済学』)”に触れている。 『批評するココロ』 第14回 週刊朝日 2009年8月14日号 46頁 Libertarian paternalismでいわれることを形式だけとりだせば、選択設計(“choice architecture”)をきちんとすることで、合理的な選択を市民一人一人が行えるよう誘導することができる、というもの。 (Sunsteinの説くlibertarian paternalismについては、年初に書いたエントリーで触れているので、そちらも参照下さい)。 真性の自由主義者(libertaria

    リバタリアン・パターナリズムと東浩紀の懸念 | FERMAT
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2009/08/11
    サンスティーンの共和主義は共感できる部分も多いのだが、それでもどうしても詰めの方で若干の違和感が残る。熟慮とか公民的徳性とか、僕自身じつはそんなに期待していないのかもしれない。
  • 「共和主義」のもう一つの意味 - jun-jun1965の日記

    「共和主義」といえば、君主制を否定する思想のことであると思っていたし、ウィキペディアでもそう書いてあるが、最近ではそうではない別の「共和主義」が出てきているようだ。 ポーコックの『マキャベリアン・モーメント』の邦訳が出たが、これなどその一例で、数年前、今は東大にいる川出良枝が新聞でこれを紹介していた時、不思議に思って原書を注文したが、まだ読んでいない。 すると、佐伯啓思・松原隆一郎編の『共和主義ルネサンス』というのが昨年出ていて、西部先生の弟子である二人が共和主義を・・・と思って見てみたら、全然、天皇制の話など出てこないのである。「はじめに」で佐伯は、「わが国に共和主義的な思想を持ち込もうとすれば」としながら「天皇の問題はさておくとしても」などと書いている。驚いた。これは論文集だが、ほとんどそれは、君主制の対比としての共和主義を論じたものではないし、実際、君主制の可否などというのは、論文に

    「共和主義」のもう一つの意味 - jun-jun1965の日記
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2009/04/18
    保守派が言うなら欺瞞にもなりうる。尤も、天皇は純粋な文化概念に還すべきと言った人も過去にあったので一概には言えない。
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