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2008年8月30日のブックマーク (3件)

  • 「スカイクロラ」が眠くなっちゃうのは当然かも〜細かすぎて伝わらない演出〜 - あしもとに水色宇宙

    「スカイクロラ」を見て、眠くなるという感想を見たが、それは当然のことかもしれない。実際、僕が見に行った時は寝てる人が確かにいた。 押井守監督は、「スカイクロラ」上映に合わせて数々のメディアに登場していた。その中で、僕が一番タメになったと感じるテレビ番組のドキュメントが8月4日にNHKで放送された「アニメ監督・押井守からのメッセージ〜新作密着ドキュメント〜 」だった。 このドキュメント番組では、「スカイクロラ」に押井守監督が込めた演出の数々を読み取ることができる。 演出その1 演出その2 そこで印象に残った発言がこちら、 人間というのはたえず動いている。たえず動く無意識の作画をどうするか?たぶん誰もやってないと思います。現場的には徒労に終わる可能性もある。 アニメでやっている技術的な作業は9割はお客さんにはわからない。 それをやるかやらないかで、見終わったときの印象が変わることは間違いない。

    「スカイクロラ」が眠くなっちゃうのは当然かも〜細かすぎて伝わらない演出〜 - あしもとに水色宇宙
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/08/30
    押井監督のスタンスは、言ってることがほとんど解らなくてもたったひとつ引っ掛かるところがあればいいというものだったはず。「わかりやすさ」への抵抗。
  • ドイツ人の国民的教養としてのアルプスの少女ハイジ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    昨日読んだシンポジウムレポートで「無機的な」つまり特定の意図の産物でない 画像というふうに Google Streetview を位置づける議論があったのだが、伝統的には制作物はつねになんらかの意図によって作りだされたものとされ、特定の使用目的へ向かって作られていないというのは美的制作物(要するに芸術)のひとつの徴表でもあった。Google Streetview の映像を私はおよそ美しいとは感じず芸術とも思っていないのだが*1、しかしその作り出すシュミラークルとしての現実世界の像が、それ自体は撮影によって記録し公表するという以上の特定の目的を持たないということにも反対しない。Google Streetview もまた表現のための表現の一形態なのだ。 19世紀末「芸術のための芸術」l'art pour l'art という審美主義といわれる運動がイギリスなどにあって、それは背徳的と当時叩かれる

    ドイツ人の国民的教養としてのアルプスの少女ハイジ - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/08/30
    やはり宮崎駿が堰を切ったのか。
  • ドイツ人の女の子から聞いた笑い話 - ハックルベリーに会いに行く

    数年前、ドイツ人の女の子(当時17歳)と知り合って、その子から聞いた笑い話。ドイツ人の、今40代くらいの世代の人たち(彼女の親の世代)は、アニメについて2度びっくりさせられた経験があるのだという。 1度目は、彼らがまだ子供の頃。その世代の人たちは、子供の頃、みんなテレビで「アルプスの少女ハイジ」を見ていたらしい。もちろんドイツ語の吹き替え版で。これはもう、ほとんど全員見てたらしい。そして当時は、これを作ったのはなんの疑いもなくドイツ人だと思っていたのだそうだ。当時は、日人がアニメーションを作るなんていうことは誰も知らなかった。ましてや、「アルプスの少女ハイジ」という彼らにとって馴染み深い国民的な童話を、外国人が(それもアジア人が)作るなんていうのは想像すらつかなかった。だから、だいぶ後になって(もう大人になってから)、それを作ったのが実は日人だったというのを知らされ、たいそう驚いたとい

    nornsaffectio
    nornsaffectio 2008/08/30
    隔世の感。…つっても、10年くらいか。世代によってガッと認識は変わるんだね。