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2010年8月4日のブックマーク (3件)

  • 論理的に正しいことが事実として正しいとは限らない件 - rosechild’s blog

    自慢じゃないが私は麻雀が弱い。昔はよくねぎをしょって薬味を添えて鍋になりに行くカモだったが、ずいぶん月謝を払ったわりに上達しなかった。しかしそういう奴に限ってヘボ麻雀をやめないので、今夜ももうすぐ麻雀が始まるの何よりの楽しみにしている。それはともかく、 前回の続きです。「論理的」であるとはどういうことかを考えるにあたって、始めに「論理的に全然違う」ということの意味を考えました。まず「論理的に違う」ってのは実際に比べてるブツがどういうもんかは見てないんだよという話をしました。二つのものを比べるのに中身を見ないなんてなんなんだと思いますが、中身がバカだろうと非科学だろうとハゲだろうとカニかまぼこだろうと関係ない、というのが論理の一つの重要な性質であると私は考えています。極端な話、中身がなんのこっちゃわからなくても論理的な判断はできる訳です。たとえば次のような言明はいずれも論理的に正しい。(例文

    論理的に正しいことが事実として正しいとは限らない件 - rosechild’s blog
    north-pole
    north-pole 2010/08/04
    どんどん面白くなってきた。続きをハゲしく希望。
  • 武田邦彦 (中部大学): 幼児の死と日本の家族文化

    時に幼児の死が報じられる.その多くが親の虐待やそれに類するものだ。このようなことが昔から同じような確率で起こっていたような気もするし、最近、多くなったような感じもする. かつて、幼児を身売りして家族の生活の足しにするということも行われていたのだから、親が自分の子を大切にする程度は、「美しい話」だけではないことは確かだ。 でも、昔との比較はともかく、悲惨な幼児の死を少しでも少なくすることは大切なことだろう. 私は、いくつかの改善を試みたら良いのではないかと思う. ・・・・・・・・・ まず、第一に「子育て資金」を止めなければならない。 子育て資金が「幼児虐待」につながる理由は簡単だ. 1)   「子供を育てる責任は社会にある」という閣僚の発言は「親は子供を育てる責任はない」というのと同じ意味だから、多くの親の中には「ああ、そうか。子供を育てるのは煩わしいから、すこしいじめれば国が保護してくれる

    north-pole
    north-pole 2010/08/04
    「何も働いていないのに現金をもらうというのは、「もっとも下賤な行為」とされている」じゃあ専業主婦な時点でダメじゃん。/「子育てだけに追われる母親の精神的な苦痛にたいして有効な手段」の一つが保育所じゃん
  • 作品概要 - 映画「うまれる」

    『うまれる』は、出産、死産、不妊、障害、胎内記憶など様々な『うまれる』形を通して、【自分たちが産まれてきた意味や家族の絆、命の大切さ、人との繋がり、そして“生きる”ことを考える、ドキュメンタリー映画】です。 未だ、限りある資源を争う戦争は繰り返され、糧不足や環境破壊が刻々と進んでいる現代。 資主義・拝金主義の中で、二極化も一層深刻化しています。 しかし、その物質社会に対して、虚無感を感じている人たちが増えているのも事実なのではないでしょうか。 愛情や感動、家族、友情、など、目に見えない心のつながりに、より幸せを感じる人が増えてきています。 育児をするパパ「イクメン」が注目を集める一方、虐待や産後ウツ、育児放棄などの問題も報道され、精神的な障害を持ってしまった人たちや自殺や引きこもりも増える一方です。 どうしたら人は満たされるのか? 当の幸せとは? 私たちはどこからきて、どこにいくのか

    作品概要 - 映画「うまれる」
    north-pole
    north-pole 2010/08/04
    「科学的に論ずるのではなく」<語るに落ちている/「産まない」は中絶かと思ったらそうじゃないのね・・・