内藤國雄九段、晴れやかに引退会見 拡大 将棋のトップ棋士として活躍し、3月末で現役を引退する内藤國雄九段(75)が20日、大阪市の関西将棋会館で引退会見を行った。 内藤九段は「寂しいでしょう、と言っていただくんですが、そういうことはまったくない。堪能いたしました。2000局以上指してますからね」と晴れやかな笑顔。今月12日、史上3人目の通算1000敗を記録して終えたプロ棋士生活を振り返った。 同じ関西の“重鎮”として活躍し、19日に肺炎のため死去した落語家の桂米朝さんとは、約40年前に将棋雑誌の企画で対談した縁で交流があったという。「将棋を指したこともあります。飛車落ちで指したんですが、相当お強かった。それまで履いたことのなかった300万円もするはかまを、その対局のために履いてこられました」と思い出を述懐した。 続きを見る
落語家で初めて文化勲章を受章し、上方文化の象徴的存在だった人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、本名中川清〈なかがわ・きよし〉)さんが19日午後7時41分、肺炎のため死去した。89歳だった。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前11時から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は長男で落語家の中川明(五代目桂米団治)さん。葬儀委員長は田中秀武・米朝事務所会長。 持ち前の品格に満ちた高座の中に、深く広い笑いの世界を表現した噺(はなし)家だった。1925年に旧満州で生まれ、兵庫県姫路市に育った。幼いころから大阪の寄席演芸に親しみ、東京の大東文化学院(現・大東文化大学)に進学後、寄席文化研究家の故・正岡容(いるる)に師事した。47年、21歳で上方落語家の四代目桂米団治に入門。力のある落語家の相次ぐ他界で衰退した上方落語界を、三代目桂春団治、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝と共に立て直
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