タグ

2015年3月21日のブックマーク (7件)

  • Amazon.co.jp: :

    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    売っているのか、さすがAmazonだな
  • うどんを毎日自宅の機械で作って食べていた地方がある - デイリーポータルZ:@nifty

    うどん、そば、ラーメンなどの麺を作る製麺機という機械がある。現在はそのほとんどが業務用のものだが、昭和のある時期にだけ、家庭用の小型製麺機が作られていた。 それはある特定の地方でのみ普及し、一般家庭の家事としてハンドルをグルグル回しての自家製麺がおこなわれていたのだ。 そんな日人の99%が知らない家庭用製麺機文化を、深く掘り下げてみた。ザ・自由研究。

    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    群馬県はうどんもそばも美味しいとゆー俺達『麺喰い』にとって有難い処だがこーゆー歴史があったのか。製麺器一つほしいけどコレ延しと切りの機能だけで捏ねは自分の手みたいだな
  • 地元生産の戦闘機「飛燕」展示へ かかみがはら航空宇宙博物館:岐阜:中日新聞(CHUNICHI Web)

    太平洋戦争中に各務原市で製造された戦闘機「飛燕(ひえん)」の現存する唯一の機体が、二〇一六年秋に同市のかかみがはら航空宇宙科学博物館へ収蔵されることになった。市と県は同館のリニューアルを計画しており、目玉の展示品となりそうだ。 同館によると、飛燕は川崎航空機工業各務原分工場(現川崎重工業岐阜工場)で約三千機が製造された。当時の日の戦闘機としては唯一、水冷式エンジンを積んでおり、高速性能に優れていたという。

    地元生産の戦闘機「飛燕」展示へ かかみがはら航空宇宙博物館:岐阜:中日新聞(CHUNICHI Web)
    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    俺の学生時代、この機体(結局使い物にならなかった液冷エンジンの方ではない)の開発設計に関わられた方がまだ教授として在任されていた
  • 内藤國雄九段、晴れやかに引退会見/デイリースポーツ online

    内藤國雄九段、晴れやかに引退会見 拡大 将棋のトップ棋士として活躍し、3月末で現役を引退する内藤國雄九段(75)が20日、大阪市の関西将棋会館で引退会見を行った。 内藤九段は「寂しいでしょう、と言っていただくんですが、そういうことはまったくない。堪能いたしました。2000局以上指してますからね」と晴れやかな笑顔。今月12日、史上3人目の通算1000敗を記録して終えたプロ棋士生活を振り返った。 同じ関西の“重鎮”として活躍し、19日に肺炎のため死去した落語家の桂米朝さんとは、約40年前に将棋雑誌の企画で対談した縁で交流があったという。「将棋を指したこともあります。飛車落ちで指したんですが、相当お強かった。それまで履いたことのなかった300万円もするはかまを、その対局のために履いてこられました」と思い出を述懐した。 続きを見る

    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    この方は名棋士であると同時に名文家でかつプロレスファンでもある/『桂米朝さんとは、約40年前に将棋雑誌の企画で対談した縁で交流があった』米朝さんより一回り以上若いんだから今後もご活躍を
  • アオサギを奇襲したイタチ、アオサギの餌に | 新華ニュース 中国ビジネス情報

    英紙「デイリー・メール」が8日、写真家Jonathan Forghamさんがイングランドのシェピー島自然保護区で撮影した一連の写真を掲載した。写真から見ると、イタチは体形が自分よりずっと大きいアオサギを奇襲してアオサギの嘴を捕らえていた。アオサギがイタチを振り切ろうとしており、イタチが必死で絡みついていた。 最終的には、アオサギがイタチをくわえて近くの湖でイタチを水の中に押し詰めて水死させ、イタチを飲み込んだ。 (翻訳 崔蓮花) (続きは次ページ)

    アオサギを奇襲したイタチ、アオサギの餌に | 新華ニュース 中国ビジネス情報
    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    アオサギって近くによると人間と同じくらいの背丈があるし鋭い嘴は凶器でほぼ猛獣。イタチ君、そら無謀やわ
  • 桂米朝さん死去 人間国宝、上方落語の第一人者:朝日新聞デジタル

    落語家で初めて文化勲章を受章し、上方文化の象徴的存在だった人間国宝の桂米朝(かつら・べいちょう、名中川清〈なかがわ・きよし〉)さんが19日午後7時41分、肺炎のため死去した。89歳だった。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前11時から大阪府吹田市桃山台5の3の10の公益社千里会館で。喪主は長男で落語家の中川明(五代目桂米団治)さん。葬儀委員長は田中秀武・米朝事務所会長。 持ち前の品格に満ちた高座の中に、深く広い笑いの世界を表現した噺(はなし)家だった。1925年に旧満州で生まれ、兵庫県姫路市に育った。幼いころから大阪の寄席演芸に親しみ、東京の大東文化学院(現・大東文化大学)に進学後、寄席文化研究家の故・正岡容(いるる)に師事した。47年、21歳で上方落語家の四代目桂米団治に入門。力のある落語家の相次ぐ他界で衰退した上方落語界を、三代目桂春団治、六代目笑福亭松鶴、五代目桂文枝と共に立て直

    桂米朝さん死去 人間国宝、上方落語の第一人者:朝日新聞デジタル
    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    半世紀以上前のガキの頃TVで観た時、大阪弁の落語も初めてだったが落語家とも思えぬ端正な風貌から語られる話で文字通り笑い転げて以来のファン(師匠譲りの新作『代書屋』)残念ながら生では枝雀との二人会一度だけ
  • 『こんな時代がついにやってきた・世代間ギャップを感じる一言』へのコメント

    i padで遊びながら娘が「おかあさんは子供のころ、どんなアプリが好きだったの?」と訊いてくる。そんなもんもそんな言葉もなかったと答えながら、なんかすごく落ち込んだの巻。 — 石井恵梨子 (@Ishiieriko) 2015... 25 人がブックマーク・12 件のコメント

    『こんな時代がついにやってきた・世代間ギャップを感じる一言』へのコメント
    norton3rd
    norton3rd 2015/03/21
    DISK-BASICで自分で組んでいた頃は勿論MS-DOSの頃でもマルチプランや一太郎を『アプリ』とは呼ばなかったぞ(『ソフト』だったかな/Macはどうだったか)今世紀に入ってからの言葉じゃねーの