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ブックマーク / gushou.blog51.fc2.com (4)

  • 愚慫空論 買いだめは健全な行動

    素晴らしいブログ記事を見つけた。 いや、見つけたという言い方は不正確。佐々木俊尚さんがツイッターで紹介されているのをみて、アクセスしてみた。 『不安であることの正しさについて』 僕らは不安であっていいんだ。 それは僕らの中の危険の感知装置が鳴っていることだから。 自分で量りきれない恐怖があるときに僕らは不安になるだろう。そして、僕らは今存在する危機に対して、その可能性の正確なサイズや輪郭をつかめないでいる。 その不安は僕らのものだ。 警報を切ってはいけない。 かつては煽動のプロがいて、大衆の不安を煽って暴動を起こしたりしたこともあったろう。しかし、僕らは暴動は起こさない。せいぜいささやかな買い占めを、それができる地域でしているに過ぎない。 僕らは誰かに煽られて不安なのか、僕ら自身の芯の部分から出てきた不安なのか。 うん、うん。満腔の同意。このブログ(「心が大事」というタイトル)の著者の村松

    norton3rd
    norton3rd 2011/03/23
    はいはい、チラシの裏、チラシの裏
  • 愚慫空論 似~第二迷信さんの言葉

    『似~メラーの言葉 』(ストップ !! 「第二迷信」 ) に触発されて。 マルチン・ニーメラー牧師の詩より。 ナチ党が共産主義を攻撃したとき、 私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。 ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。 私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。 ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。 私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。 ナチ党はついに教会を攻撃した。 私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。 第二迷信さんの言葉 若者が、「星占い」に人生を託していた。 科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。 オッサンが「大安、仏滅、友引…」で行事の日取りを決めていた。 科学的根拠がないのは知っていたが、私は何も言わなかった。 オバチャンが「水子のタタリ」を気にしていた。 科学的根拠が

    norton3rd
    norton3rd 2009/07/22
    科学』を根拠にオバチャンや視聴者を攻撃している人など正直見たことないが。水子の祟りや占いで人の財布や社会的リソースに手を突っ込もうとする詐欺師どもからオバチャンや視聴者を守るのは科学に携わる者の役目
  • 愚慫空論 ニセ科学批判の道徳性

    早く次のエントリーを上げなければと思いつつも、ついつい時間を無為に過ごしてしまって、やっとエントリーを書き上げた。今回も引き続きテーマは科学と道徳。前回『【語りえぬもの】を語る姿勢』の続きである。 前々回の“道徳は【語りえぬもの】である”との結論を受けて、前回は“「節操」の欠乏した道徳者はニセ道徳者”と結論した。ここでいう「節操」とは“道徳を【語りえぬもの】として語ることであり、そこから“「節操」の欠乏”は“道徳をあたかも【語りえるもの】として語る”ということが導かれる。すなわちニセ道徳者とは“【語りえるもの】として道徳を語る者”ということになる。 ではニセ道徳者とは誰を指して言うのか? もちろん、具体名を挙げるといった「節操」に欠けた行為はできない。具体名は【語りえぬもの】としておいたほうがよかろう。それよりも、ここではニセ道徳者の有様をなるべく具体的に考えてみたい。そこで科学を【語りえ

    norton3rd
    norton3rd 2008/05/17
    書いた人が中二なら褒めてあげていいんでは?『空疎で薄っぺらの観念論』とゆーツッコミなしで
  • 愚慫空論 科学は陰謀説から生まれた

    少々挑発的なタイトルになった(笑)。 タイトルでは端折ったが、科学とは近代科学、とりわけ自然科学のことである。「科学」と称される知的体系は古代から、そして世界中の文明に存在したが、論理実証主義を基礎とした近代科学が産まれたのにはキリスト教の影響が大であったとするのは、定説といってよいと思う。 近代科学はキリスト教から生まれたのか? そう、タイトルはそういう意味でもある。では、キリスト教は陰謀説だというのか? 各所から非難の声が挙がりそうだが、そうだと答えておこう。ただし、これは単なるレトリックでしかないことは明記しておく。 まず、陰謀説について考えてみる。 陰謀説でググッてみると、実に様々な陰謀説が引っかかってくる。9.11同時多発テロ、アポロ計画、ダイアナ殺害、ケネディ暗殺・・・。枚挙に暇がないとは、こういうことを指して言うのだろう。 陰謀説とは、ごく簡単にいってみれば、ある現象の背後に

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