ヤングジャンプ(07/5/24号)が「めざせ!働王」という特集を組んでいる。 プロレタリアマンガ?のポテンシャルにはすさまじいものがあるはずだってずっと思っていて。 友人から薦められて中村珍さん(21歳女性)の『チェリオ』という読切マンガを読んだ。かなりグッときた。 28歳フリーター男性の話。コンビニ夜勤とハンバーガーチェーン店バイトかけもち。 「頑張ったら報われる」ことは嘘だってわかっていて、「頑張ったって報われる事はない/ただ暮らしていられるだけ」なのだけれど、「それにスネたら不本意に負けるだけ」だから(この世の何かに本当に負けてしまうから)、なお「頑張る」。 自己責任論としての「もっと頑張れるはずだ」じゃない。「頑張る」の意味がチューンアップされている。 このぎりぎりの感覚から出発して、純粋被害者として破壊願望に身をゆだねるのでもなく、しかし自分の鏡像に「お疲れ」と言うだけでもなく—
「チェルフィッチュ」を主宰する岡田利規の初めての小説集である。戯曲を小説化した「三月の5日間」とオリジナル小説「わたしの場所の複数」の2編が収録されている。 「チェルフィッチュ」の芝居といえば、何といってもあの役者の不思議な動きである。喋りながら、手や足を常に動かしているのだ。最初に見た時には奇異に感じたが、慣れると段々気にならなくなってくる。自分の身の回りの人たちを見ても、結構無為に手を動かしながら喋っていたりするものだ。小説ではこの動きを利用することができない。そこをどう考え、処理するのかが一つの見どころだった。たまたま今日(3月22日)の朝日の夕刊で岡田利規が取り上げられており、その点について彼はこう答えている。 「身体を使えないことでできることもいっぱいあった。現実の出来事と、主人公が頭の中で思っていることが、小説にすると何の違いもなくて、不思議で面白い」 西川美和の『ゆれる』は映
2月中にはある程度感想サイトまとめの記事を書き上げようかと思っていたのだけどちょっとその余裕が無さそう。このまま何も書かないままフェイドアウトするおそれもあるので、一応の現時点での私の『エンジョイ』についての結論をメモしておく。 http://chelfitsch.exblog.jp/m2006-12-01#5179284 に、「それにしても公演中に青島幸男がなくなった偶然。」と書かれていて何のことかなと思ったのだけど、新宿西口地下からホームレスを強制排除したのが青島都知事だったということを後からある人に教わった。すっかり忘れてたな。それで、青島都知事の会見での言葉が引用っていうか、カットアップというか、されていたそうだ。 その辺り、件の「排除アート」への参照がさりげなくなされていたのと同様の、ある種記号のちりばめかたがなされていたというわけだ。しかも、そういう行政への応接というのが、わか
気がつくと今日で9月も終わり。9月は横浜でのレバノン・カフェにはじまり、横浜での旧老松会館オープンに向けた怒涛のような日々に終わろうとしている。 ブログも書けず。そもそもネットにつながったパソコンの前にいられる時間が少なく、メールの返事も遅れがちで、関係者各位に、大変申し訳ない次第。 加えて、横浜がらみのヘヴィな企画書づくりに、夕べから家から一歩も出られず。。。加えてもうひとつ、海外の文化政策に関する研究調査のペーパー提出が迫り、この土日は二つのヘヴィすぎる締め切りを抱え、勝手に自分の限界に挑戦中。 とはいえ、今週はたくさんのことが具体的に動いたので、個人的には比較的ハッピー。 そのひとつ。この1ヶ月私を悩ませ続けた懸案事項の一つ、旧老松会館の名称が、ついに決まりました。今日から仮チラシを配布しているので、ブログ上でも発表していいでしょう。 じゃじゃーん。 横浜アートプラットフォーム: 急
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く