カルチャーセンターでヘーゲルについて語る機会があった。ヘーゲルについて1時間で話すというのも無謀な話だが、長々と時間をかけたからといって、わかりにくい話が分かりやすくなるものでもない。問題は、ヘーゲルを誇大な物語としてではなく、今でも十分に活用可能な生きた思考装置として見直すことがいかにして可能かということである。以下、「否定性」ということに焦点を合わせながら、ヘーゲルに通常浴びせられる批判に対して、ヘーゲルが擁護できる合理性を、いくらかなりとも持つかどうかを検討してみることにしよう。 【ライプニッツの「調和」】 ライプニッツは、部分の不調和が全体の調和によって埋め合わされると考えた。 部分における無秩序は、全体における秩序である。(ライプニッツ『弁神論』Ⅱ・128) 部分においていかに不条理に見える所があろうとも、それは全体を創造した神の目から見れば、結局は全体の調和を実現するための不可