いろんな場面で評価を受けることがある。 そこで、まぁ自分としては納得できない評価を受けたりもする。 勿論、納得が出来なくても、周りから見たらそうなんだから、普段なら自分の無能さを嘆くんだけど、たまーに、本当にどうしても納得が出来ない評価を与えられることがある。 そういうとき、「何が悪かったんだろう」「どうすればよかったんだろう」と考えたり、周りに聞いたり、可能なら評価を下した人に聞いてしまったりもする。これで解決できればいいんだけど、そんなにはっきりすることってあんまりない。で、ぐずぐずとまた、自分のいたらなさを考えたりしてしまう。そうすると、周りから「わからない人だなぁと思っとけばいいよ!わかる人にだけわかってもらえればいいんじゃない?」って言われる。 なぐさめてくれてるのはわかるし、そこは嬉しいんだけど、その言葉、自分はあんまり使いたくない。 それって、甘えだと思う。 自分の無能さを、
テレビ文化も最盛期を過ぎ、衰退の兆しすら見え始めた昨今。地理的な距離感を克服するコミュニケーションツールの普及とともに、一昔前に比べて方言の壁というものがかなり低くなったように感じる。 その影響か、フィクションに関西弁話者のキャラクターが登場したとき、作者の出身地に関わらずかなりリアルに即した口調で上手に喋らせている作品が増えたという実感がある。 きょうび関西人がみな「〇〇〇はん」「よろしゅうたのんまっせ」といった古臭い言葉を操るデジモンだと思っている他地方民は、もうほとんどいないのではないか。 このような現状の中、作者が関西弁話者でないフィクションでしばしば目にする、いち関西人としてどうしても気になる言い回しがひとつある。 「かわええ」である。 20余年関西人として生きてきて、複数の府県在住を経験した身から証言するが「可愛い」を「かわええ」と言う関西人にはついぞ遭遇したことがない。私の知
おっさんになったからだと思うんだけど 仮を仮のまま数ヶ月、下手すりゃ数年運用してしまうことが増えた 仮だからと、ベッドを買うまでの繫ぎのために安い布団を買って、それでもう半年以上寝てたり 洗濯機買うまでの仮の手洗いがもうずっと続いてたり 画面が割れたスマホをあと少しと言いつつずっと使っていたり 仮の家、仮の仕事、仮の関係、仮の服、仮の歯、仮の目標 そういえば、中学生の時は新校舎を建てるために仮の校舎に1年以上いた 都内の駅はいつも工事をしていて、仮の壁や仮の看板、仮の道だらけだ 震災の被害者は仮設住宅にもう何年住んでるのか 「仮」っていうのは下手すると「本」より長くなってしまう時がある だから仮に力を入れなきゃいけないというわけではないが 仮が長くなったらどうなるか、考えておかないと何だかよく分からない感じになってしまう
立命館大は24日、産業社会学部の教職課程の履修科目編成で大学側のミスがあり、卒業生3人の高校教員免許(地理歴史)が取り消されたと発表した。うち2人は現職教諭だが、中学校で教えているため授業に影響はないという。 大学は2012年度に科目「戦争の歴史と現在」を教職課程から外したが、学生に配った履修要項を修正していなかった。そのため学生21人がこの科目を教職課程の科目として履修して卒業し、教員免許を取得した。 17年12月に学内の免許状判定システムを点検した際、ミスが判明。計算し直したところ、履修して免許を取得した21人のうち3人が単位不足となり、教員免許が取り消された。 立命館大は3人に謝罪。今年度中にそれぞれの居住地の近くで特別に講義をして単位を授与し、免許の再取得を目指すという。
エレベータ乗ったら唐揚げの匂いハンパねえよ こっちは疲れて帰ってきてメシもまだなんだよ なんだよそのいい匂いはよ ちくしょう唐揚げ食いたくなってきた ゆるせねえ
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