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セカイに関するnovelblogerのブックマーク (2)

  • セカイ系の社会的な次元、あるいは、セカイ系のリアリティについて - metamorphosis

    セカイ系作品はこれまで多くの批判にさらされてきたと言えるが、セカイ系を批判するときにしばしば持ち出される言葉がある。それは「閉鎖的」というものである。「セカイ系」という言葉の定義の一部をなしている、社会的な領域の欠如という特徴が含んでいるニュアンスもそうした閉鎖性であるだろうし、「きみとぼく」というカップルの関係についても、そうした閉鎖性が指摘されることだろう。 宇野常寛の『ゼロ年代の想像力』では、セカイ系が批判の対象になっているわけだが、そこでのポイントというのも、閉鎖性、閉じこもり、引きこもりである。宇野常寛のエッセイにおけるセカイ系のイメージは、『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジに集中している。碇シンジは、劇場版(「Air/まごころを、君に」)での彼の行動が顕著であるように、世界が危機的な状況にあるにも関わらず、何か積極的な行動をすることもなく、引きこもる。 このような指摘に対して

    セカイ系の社会的な次元、あるいは、セカイ系のリアリティについて - metamorphosis
  • セカイ系とは何か

    「セカイ系」というのは、その手の小説やマンガを知っている人には感覚的に わかる概念であるが、そうでない人にはなかなか説明しづらい。そのせいで、 人によって説明がけっこうバラバラだったりする。知っている人が見れば、そ れぞれの説明が同じ対象を別の角度から言い表しているものとわかるのだが、 知らない人にとっては分かりにくい。 ここでは、困難は承知の上で、セカイ系とは何であるか、できるだけわかりや すい説明を試みたい。 セカイ系は「世界を救う物語」ではないアニメやマンガなどでは、「世界を救う」物語が悪い意味で非常によく目につ く。そのため、セカイ系をこうした物語を指すものだと思ってしまっている人 もいる。半分は当たっているが、半分は外れている。 確かに、「世界を救う物語」にはセカイ系が多い。しかし、そうでないものも 多い。「世界を救うからセカイ系」というのは間違いであるということをまず 認識して

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