タグ

ブックマーク / vergil.hateblo.jp (8)

  • 敗戦の翌年、中国での残虐行為を自慢していた元兵士 - 読む・考える・書く

    記事の趣旨からずれるので前回記事では取り上げなかったのだが、『砕かれた神』の著者渡辺清氏は、敗戦の翌年、中国帰りの元兵士が自分の犯罪行為を自慢気に語る場面に遭遇している。[1] 1946年3月11日の日記: 夕じゃ(二時ごろの事)に帰ったら、川端の火じろ端に宮前のほうの博労ばくろうが二人お茶を飲んでいた。肥った赤ら顔のじいさんと、こびんに大きな火傷の痕のある反っ歯の男だ。川端の種牛を見にきたらしく、はじめは牛の値がどうのこうのいっていたが、そのうちに戦争の話になっていった。おれは上がり框かまちに腰かけて夕じゃをよばれながら、反っ歯がじいさんにこんなことを自慢げに話しているのを聞いた。 「上海から南京まで進撃していく間に、そうだな、おりゃ二十人近くチャンコロをぶった斬ったかなあ。まあ大根を輪切りにするみてえなもんさ。それから徴発のたんびにクーニャンとやったけや、よりどりみどりで女にゃ不自由

    敗戦の翌年、中国での残虐行為を自慢していた元兵士 - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2022/04/16
    "兵隊ってのは、してえ事ができて面白えしょうばいさ。" レイプや略奪や殺人は悪だという芯がなく、「本当は誰でもやりたがっている事」と信じており、お上に罰されないかどうかが行動基準だと、そりゃそうなる。
  • トロッコに乗せてくれた親切なおじさんも殺された ― 9歳の少女が体験した朝鮮人虐殺 - 読む・考える・書く

    東大震災から70年後の1993年、経済専門誌という意外な場所に、震災当時9歳の少女だった女性の体験談が書かれていた。 少女の一家は震災のわずか10日ほど前に横浜の中心地に近い吉田町から、同じ市内ではあっても当時は田舎だった西戸部に引っ越し、ここで荷物の整理も済まないうちに震災に遭っている。引っ越したばかりで友達もなく、一人で原っぱで遊んでいた少女が体験した話である[1]。 関東大震災の思い出 栄 女 大正十二年九月一日の関東大震災の時に私は数え年九歳だった。私はその時起ったことをいつか人に話したいと思って来たが、言えなかった。(略)毎年九月一日が来る度に言いたくて言えなかったことを思い出して、ああ今年も私はあのことを覚えていたと思うのだった。 九歳の8月私はよその子よりよっぽど遅いはしかにかかって夏休み中の暑い盛りに毛布にくるまって寝ていなければならなかった(略)そして治ってすぐにどうい

    トロッコに乗せてくれた親切なおじさんも殺された ― 9歳の少女が体験した朝鮮人虐殺 - 読む・考える・書く
  • 「普通の日本人」はとにかく正義が嫌いらしい - 読む・考える・書く

    痴漢容疑者を取り押さえようとして重傷を負わされた被害者を嘲笑する人々 危険を省みず容疑者に立ち向かった男性が「正義マン」? 「普通の日人」は正義が嫌いになるよう教育されている 痴漢容疑者を取り押さえようとして重傷を負わされた被害者を嘲笑する人々 2月17日、都営地下鉄駅で、痴漢容疑者を取り押さえようとした男性が階段下に転落させられ、一時意識不明の重体になるという事件が起こった。 www.sankei.com 駅構内の階段で男性を転落させ、意識不明の重体にしたとして、警視庁神田署は17日、傷害容疑で、元警視庁警護課SP(セキュリティーポリス)の会社員、品田真男容疑者(52)=千葉市若葉区原町=を現行犯逮捕した。品田容疑者は当時、電車内で10代少女への痴漢行為を疑われ駅構内を逃走していたという。(略) 逮捕容疑は17日午前7時ごろ、東京都千代田区神田神保町の都営新宿線神保町駅構内の階段で、自

    「普通の日本人」はとにかく正義が嫌いらしい - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2020/03/02
    いじめをかばった子が次のいじめのターゲットになる事象とかね。/昔、痴漢を注意した女性が逆恨みでレイプされる事件があったけど、今起きたら「頭の悪い正義マンの自業自得」と嘲笑する奴は普通に大勢いると思う。
  • 中曽根康弘が(ようやく)死んだ - 読む・考える・書く

    中曽根の葬儀こそ「民営化」すべき 中曽根、インドネシアに「慰安所」を開設 問題が大きくなると慰安所での性行為強制を否定 罪を認めないまま死んだ卑怯者 10月29日、中曽根康弘が死んだ。101歳だったという。 中曽根の葬儀こそ「民営化」すべき この中曽根もそうだし、岸信介(1987年、90歳没)や奥野誠亮(2016年、103歳没)もそうだが、社会に悪をなすロクでもない政治屋ほどしぶとく長生きして天寿を全うするパターンが多くて嫌になる。 ついに死んだか。こいつのせいでどんだけの人が酷い目にあったか。こいつに関しては、唾棄すること鞭打つことに一切躊躇は要らないと思うよ。 中曽根元首相が死去 101歳 https://t.co/CInnZMRWPu — らっぱ (@orandger) November 29, 2019 死者に鞭打つのは礼儀に反するとはいうものの、中曽根康弘は功罪のうち功はなく罪の

    中曽根康弘が(ようやく)死んだ - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2019/12/01
    慰安所設立を自慢話にした大勲位は平和に大往生したけど、女性達には死ぬまで忘れ得ぬ深い傷を残す体験だったろう。満州で娘達が村を守るためと性接待させられたり( id:entry:369366476 )、女が人間扱いされなかった時代。
  • 【恥知らず】教皇ミサに来日した韓国人被爆者を入管が空港で足止め - 読む・考える・書く

    ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(82)は24日、まず被爆地の長崎、ついで広島を訪れた。教皇は爆心地公園(長崎)と平和記念公園(広島)で核兵器のない世界の実現を訴えるスピーチを行い、長崎県営野球場では約3万人の信徒たちとともにミサを執り行った。 広島でのスピーチでは、原爆による犠牲者は日人だけではなかったことにも言及している。 www3.nhk.or.jp あわれみの神、歴史の主よ、この場所から、わたしたちはあなたに目を向けます。死といのち、崩壊と再生、苦しみといつくしみの交差するこの場所から。 ここで、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。さまざまな場所から集まり、それぞれの名をもち、

    【恥知らず】教皇ミサに来日した韓国人被爆者を入管が空港で足止め - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2019/11/27
  • 日本の警察はその気になれば「誰でも」逮捕できる - 読む・考える・書く

    「革労協活動家」とされる男性(69)が、「無許可で貸金業を営んだ」という容疑で逮捕された。 「知人の男性に4回にわたってあわせて1万2000円を貸し付け、貸金業を営んだ疑いです。」 わたしもあなたも逮捕だな。 弾圧だということを隠そうともしてない。 報道されても、こういうやりくちに対する反発の声は、無視できるくらい小さいからね。 https://t.co/fT0i1Sa9ZP — よんひゃん (@cucamber_milk) October 18, 2019 (略) 警察によりますと、緒方容疑者は2019年5月から8月にかけて、許可がないにも関わらず、県内に住む知人の男性に4回にわたってあわせて1万2000円を貸し付け、貸金業を営んだ疑いです。 警察は緒方容疑者の認否を明らかにしていませんが、革労協による組織的な関与があったとみて、押収品などを調べ容疑の裏付けを進める方針です。 知人同士で

    日本の警察はその気になれば「誰でも」逮捕できる - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2019/10/20
    知人に3000円を4回貸したら貸金業とか、レンタカーを割り勘したら白タクとか、こじつけが凄い。/その気になれば誰でも逮捕できることの裏には、誰かを逮捕"しないであげる"ことを可能とする恣意がある訳で、まじ中世
  • 朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」 - 読む・考える・書く

    藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 「町送り」が引き起こした埼玉県内の朝鮮人虐殺事件 最初の集団虐殺「熊谷事件」 「町送り」で生き残った人々が皆殺しにされた神保原事件事件 藤岡事件よりさらに凄惨な虐殺事件がいくつも起きていた 先日、ブログで、虐殺被害者の遺族が95年目にして初めて慰霊祭に参加した「藤岡事件」を取り上げた。 今の群馬県藤岡市で起きたこの事件は、現地に居住していた朝鮮人17名が、警察署内に保護されていたにもかかわらず、暴徒と化した周辺住民に引きずり出されて殺されたという悲惨な事件だ。 しかし、隣の埼玉県では、もっと凄惨な事件がいくつも起こっている。その一つが「事件」である。 事件は、藤岡事件の前日4日に、隣接する今の庄市で起きた別の事件です。 事件の内容は、藤岡事件よりもっと恐ろしいものでした。 — バージル (@vergil2010) 20

    朝鮮人虐殺:親の目の前に子供たちを並べて首を切った「本庄事件」 - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2018/10/04
    暴力を黙認する当局の態度とデマによる恐怖感で正当化された動機、数を頼んだ安心感から虐殺に及ぶのはまだ分かる。けど、子供を、親の目の前で殺す、相手に与える苦痛を楽しむような心ってどこから来るんだろうか…
  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
    nowa_s
    nowa_s 2018/08/17
    天皇に戦争責任と原爆を記者会見で直接ぶつけた記者の気概がすごい。時代的に本人も戦前・戦中派だろうけど、やっぱ国民の中にも溜まってるものあったんだろうな
  • 1