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2012年6月28日のブックマーク (2件)

  • 大野もとひろ『イラン問題』

    19日、モスクワで開催されていたイラン問題をめぐるP5+1(米、英、仏、露、中、独、イラン)協議が物別れに終わった。当面は、協議再開の予定はなく、7月3日にイスタンブールにおいて技術会合が開催されることだけが決まっている。 イランの核疑惑をめぐっては、外交的な解決が行われない場合、イスラエルが武力行使を行うのではないかとの見方が強まっており、イスラエル側の要人もただちにとは言わないが、武力行使の可能性を肯定するかのような発言を繰り返している。かりに対イラン武力行使となれば、石油やそれに連動するLNG、LPGといった価格が高騰し、特に3.11後に深刻になっている我が国のエネルギー事情にきわめて深刻な影響が及ぶことになる。昨年の貿易収支悪化の約半分が高騰する化石エネルギー代金であることからみても、このことは明白である。ガソリン価格はここ数ヶ月低下傾向を見せているが、先のOPEC総会においても生

    大野もとひろ『イラン問題』
    nozomi_private
    nozomi_private 2012/06/28
    「対イラン武力行使…我が国のエネルギー事情にとどまらず、米国が争いに引きずり込まれるリスク、アジア向けの石油供給が不安定化し、世界経済を牽引するアジア経済の影響から経済不安が拡大する懸念等も存在する」
  • 写真で見るあおもりあのとき 第97回 活気あふれる青森港 回漕店の勢い盛んに | 青森県立郷土館ニュース

    寛永3(1626)年に「青森湊」が開港して以来、港町である青森は、藩政時代から廻船問屋(かいせんどんや)が各地への海運を取り扱ってきましたが、明治6(1873)年、北海道開拓使により、青森・函館・安渡(大湊)間に弘明丸が定期便として運航を始めると、旧来の青森の廻船問屋の多くが転業し、新たに創業した「回漕店(かいそうてん)」にとって代わられました 日露戦争(1904~05年)後になると好景気となり、青森の海運業は大正の初めまで活況を呈しました。そのころは、青函連絡船による貨車航送もなく、港湾設備が未整備で大きな船を接岸できる岸壁はありませんでした。そこで、北海道向けの米・味噌・ワラ製品を、沖合に停泊した船に積み込むため、艀(はしけ)と呼ばれる小さな船が忙しく動き回っていたといいます。また、当時の北海道はニシン漁業が非常に盛んで、ニシン漁場に向かう出稼ぎ人で青森港が賑わっていたことでしょう。

    写真で見るあおもりあのとき 第97回 活気あふれる青森港 回漕店の勢い盛んに | 青森県立郷土館ニュース
    nozomi_private
    nozomi_private 2012/06/28
    回漕店が旅館や下宿をかねていたのは面白い。かつては「お客様」として荷主などを泊めていたのをビジネス化したのだろうか。青森湊の風景。