中華民国政府を屈服させた民衆パワーの結集「五四運動」 1919年というのは中国の歴史を語る上で極めて重要な意味を持つ。 この年、北京大学の学生が中心となって行われた反日デモ行動を契機として、「抗日・反帝国主義」を掲げる全国的な規模の大衆運動が起こる。 いわゆる 「五四運動」 である。 一体何が中国人のナショナリズムを激化させ、反日デモへと向かわせたのか? 事の発端は第一次世界大戦の戦後処理を決定するパリ講和会議での外交的敗北である。 屈辱のパリ講和会議 打ち砕かれた中国人民の希望 中国はこの会議に代表団を送り込み、「山東省の旧ドイツ権益の返還」、「対華二十一か条の撤回」、「各国の在華特権を認めた不平等条約の廃止」を要求した。 中国がこのような要求を出した背景には、前年の1918年にアメリカのウィルソン大統領が提唱した「民族自決主義」への期待があったとされる。 「民族自決主義」とは、「それぞ