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ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (6)

  • 息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校は行っといたほうがいい。これはもう大前提だ。その上で、実際には学校なんてそこまでのもんでもない。だから、命がけで行くようなもんじゃない。しんどかったら行かなければいい。新学期のこの時期、こどもの自殺が有意に増える。死ぬくらいなら休めばいいし、何なら不登校になったっていい。私の息子は中1の夏休み明けに不登校になった。それでもおかげさまで二十歳になったいまも元気に生きている。 ただし、彼は絶賛無職アルバイト中で、世間的にいう安定した人生への道からは大きく外れている。たぶん、外れっぱなしのままでいくんだろう。だから、一般には学校に行っといたほうがいいのはまちがいない。命、とまでは言わなくとも、健康(心の健康も含め)に大きく被害が出ない範囲であれば、まあガマンして行っといたほうがいい。 もちろん、いったん路線を外れても復帰する道はある。実際、私がこれまで教えた生徒でも、半年不登校やってましたと

    息子が不登校になったときの思い出 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2023/09/03
    宿題をさせないと①学力が身に付かない②家庭学習の習慣が身に付かない③ルールを破る子に育ってしまう、という思考が教師の中に固定されている。なお、ルールは教師側が全員一律に、かつ一方的に設定する。
  • 「毎年やってるから」を理由にするのはやめよう - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    今年も、保育園の年長組の子どもたちが我が家にやってくる。息子が保育園の年長さんだったときに始まったこの行事、今年で9回目。よくここまで続いたもんだと思う。 中身は至って単純。保育園の子どもを5〜8人ぐらい(年によってちがう)のチームに分けて自宅に招待する。お茶(といってもふつうのお茶)を飲みながら、1時間ほどおしゃべりをする。それだけのことだ。ま、少し趣向がないこともないのだが、それは重要なことではない。長いこと続けてきて、このイベントの最大の効用は子どもたちに「よそのお家」を見てもらうことだと思うようになったからだ。 私が子どもの頃には小さな子どもは基的に世界がフリーパスで、よその家に上がりこんでも、「子どもだから」と許されるところがあった。まあ、狭い世間で、誰がどこの子だかもわかっていたしね。だから、よその家の暮らしが自分のところとちがうことぐらいすぐにわかった。子どもたちは無意識の

    「毎年やってるから」を理由にするのはやめよう - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2021/03/29
    “本当に必要なことをゼロから工夫して生み出すことを、人間は常に続けなければいけないのだと思う。そういう意味では、車輪は何度再発明されてもいい。”
  • どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    学校のスタートを9月にするという政策が動きはじめているようだ。1ヶ月前からそれを主張してきた私は、複雑な思いをかかえている。それに関しては前回のエントリに簡略に書いた。 mazmot.hatenablog.com 正直、この話題には少し辟易してきていて、そろそろ別の話題(たとえば料理のことだとか)に移りたいのだけれど、乗りかかった船、もう少しこれに絡んだことを書いていこう。 上記記事で、「感染拡大の状況下で教育はできないのか? 方法さえ工夫すればできるはずだ」と書いた。では、どのような方法が考えられるのだろうか。もちろん実際には公教育の外側で家庭教師なんかやっている私なんかよりもずっとそういうことを考えるのにふさわしい人々はいる。これから書くことは外野の騒音でしかない。けれど、立場がちがえば見えてくるものもちがう。私は学校内でのさまざまなことは知らないが、幼稚園児から大学生までさまざまな年

    どのような形で「感染拡大下の教育」が可能になるのか - 極論としての試案 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2020/05/01
  • 「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    4月1日のエントリと前回のエントリで、「COVID-19による学校閉鎖問題のひとつの解決策としての9月新学期への制度変更」について書いた。この問題に関しては緊急に議論を深める必要があると思う。その議論はもちろん、こんな片隅の雑記ブログなどではなく、国政レベルで行われるべきだとは思うのだが、ここのところ検索で(このブログにしては比較的)多くの人が読んでくれているようでもあるし、さらに話を進めてみようと思う。 というのも、Yahoo!ニュースで、次のような記事を見かけたからだ。 news.yahoo.co.jp 9月入学・新学期は進めるべきではない ― 子どもたちと社会への影響を重く見るべき4つの理由(妹尾昌俊) - 個人 - Yahoo!ニュース これは私の主張とはちがって「この時期に制度の変更は行うべきではない」というものだ。主張はちがうのだが、それなりに説得力のある論だと思ったので、そこ

    「9月新学期」について再々考 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2020/04/29
    “現状が最も危険なのは、この先どうなるか、行き当りばったりでしか対応できないことだ。緊急事態宣言が解除されるのか継続されるのか、どの程度継続するのか、またその際に学校の扱いはどうなるのか”
  • 9月新学期再考 - 後手後手の対策はすべてを消耗させる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    先週末あたりから急にこのブログへの検索からの流入が増えたなと思っていたら、その頃、有名教育評論家が「9月新学期」を言い出したらしい。そして、それを受けて文部科学大臣も「様々なところで声が上がっていることは承知している」みたいなことを言ったとか。私が、「9月新学期」について mazmot.hatenablog.com ブログ記事を書いたのが4月1日だから、3週間以上もたってようやくそういう話が表面に出てきたわけだ。おかげでアクセスが増えるのは「ごっつぁん」ではあるのだけれど、正直なところ、「なんで今頃になって?」と首を傾げざるを得ない。 感染拡大の状況がたかだか1ヶ月の緩いロックダウンでどうにかなるわけではないことは3月末には明らかだった。そして、文部行政的に(私の好みじゃないよ)1ヶ月以上始業を遅らせることが困難なことも明らかだった。この2つを足し合わせたときに最も合理的な案のひとつが「9

    9月新学期再考 - 後手後手の対策はすべてを消耗させる - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2020/04/28
    “斉一講義式の現在の授業方法では、それこそ感染が完全に抑えられない限り再開不可能になる。”, “学習指導要領の本質をついた新たな教育方法を確立しなければならない。”
  • 「安心」は安心じゃない - 定訳の厄介さ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    専門的な文書、論文であるとか専門書であるとかを翻訳する場合には、まずはその分野の基礎知識がなければならない。とはいえ、依頼が来てからきっちり勉強していたのでは間に合わないから、だいたいは参考文献リストとかから見当をつけて、周辺の文献を大急ぎで斜め読みすることになる。それをやっておかないと、文脈を読み違えてクライアント(たいていはその道の専門家)からお叱りを受けることになる。それでは次の仕事につながらないので、ここは手を抜けないところだ。 周辺の文献を調査するのは、既に存在する訳語を押さえておくためでもある。特に英文和訳の仕事では、たいていの分野で既に先行する何らかの翻訳が存在する。特定の単語についてそういった先行訳を無視すると学問の世界ではまずいことになる。とはいえ、先行訳が必ずしも適切とは限らない。そういう場合にはきちんと先行訳の存在とそれがなぜ依頼の文献に適切ではないのかのコメントを添

    「安心」は安心じゃない - 定訳の厄介さ - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    nozoooo
    nozoooo 2020/04/16
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