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「政治的圧力による言論弾圧に屈した悪しき事例を作ってしまった」 「権力者が気に入らない記事は載らなくなる」 「週刊朝日はもっと腹をくくっておけ」 といった方向から、今回の「ハシシタ」の件を捉えるのは筋違いも甚だしい。「橋下氏やその支持者は敵失で得したね」という方向からのは言わずもがな。 今回の問題はもっとそれ以前のところに問題があり、だからこそ週刊朝日の謝罪も橋下氏に対してのものではなく「不適切な記述」に対するものが主となっている。 これを権力や政治圧力の話にすり替えてしまうことは、記事の本当の問題を矮小化するに等しい低劣な行為だ(しかも、橋下氏へのネガキャンに利用するためだけにそのような矮小化をしようとする浅ましい人たちまで存在する)。 もし、今回のが権力者による政治圧力に屈したものであり、橋下氏のような権力者が相手でなかったら謝罪も連載中止もなかったとすれば、そちらの方こそ深刻である。
出版の世界の片隅にいる者として、ノンフィクション作家・佐野眞一氏が『週刊朝日』に書いた「ハシシタ 奴の本性」と、その後の出版社の対応について思うことを述べておきたい。 いまから20年ちかく前のことだが、私はその頃小さな出版社に勤めていて、屠場労組の主催する糾弾の場に出たことがある。当時の糾弾というのは、十数社の新聞社・出版社の幹部や編集責任者が一堂に集められ、100人あまりの組合員の前で差別表現を謝罪するというものだった。 典型的な差別表現は「士農工商」「屠殺」「屠所に引かれる羊のように」で、こうした言葉を注釈なしに使った出版社は「差別に対する意識が足りない」として謝罪を迫られた。このとき会場を埋め尽くした組合員から、「お前は踏まれた者の痛みを知っているのか!」などと怒号を浴びるのが“糾弾”の由来だ(もっともこうした糾弾は70年代がもっとも激しく、私が参加したときはかなり形骸化していた)。
東京都の石原慎太郎知事は19日の定例会見で、橋下徹・大阪市長の出自をめぐる週刊朝日の連載記事について、「出自や親族の職業をあげつらい、それがDNAとして受け継がれて危険だというのは、中傷誹謗(ひぼう)の域を出ない卑劣な作業だ」と厳しく批判した。 石原知事は会見冒頭、「友人だから腹に据えかねて申し上げる」と前置きして批判を展開。「橋下さんにも子供がおり、その子供にまで影響する。文筆を借りて、他人の家族までおとしめるという物書きは許せない」と語った。 記事を執筆したノンフィクション作家の佐野眞一氏については「同和や被差別部落の問題について強い偏見を持っている」と指摘。「私も被害者の一人。父親の本籍地に出かけ、石原一族は同和、部落ではないか、と誘導尋問をしていたと報告があり、あきれた」と語った。 また、佐野氏の作品には作家の深田祐介氏や山根一眞氏らの作品からの盗用があるとして事例を列挙。「卑しい
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