世の中 佐川・抜け首・なん on Twitter: "「当時としては、ワガママとされ、暴力的とされ、迷惑とされ、非常識とされ、だけどその騒ぎのおかげで後輩達が恩恵を受けている」 私はいつも「川崎バス闘争」を思い出す。 公共交通機関に「車椅子の人を一人で乗せろ」として、「闘争」があったのだ。"
![『佐川・抜け首・なん on Twitter: "「当時としては、ワガママとされ、暴力的とされ、迷惑とされ、非常識とされ、だけどその騒ぎのおかげで後輩達が恩恵を受けている」 私はいつも「川崎バス闘争」を思い出す。 公共交通機関に「車椅子の人を一人で乗せろ」として、「闘争」があったのだ。"』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8dc7747c255aeb57915e162d866bc8e4e06bd5d2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F957240795735646208%2FeyVSqN_a.jpg)
世の中 佐川・抜け首・なん on Twitter: "「当時としては、ワガママとされ、暴力的とされ、迷惑とされ、非常識とされ、だけどその騒ぎのおかげで後輩達が恩恵を受けている」 私はいつも「川崎バス闘争」を思い出す。 公共交通機関に「車椅子の人を一人で乗せろ」として、「闘争」があったのだ。"
世の中 『JRで車いすユーザー乗車拒否にあいました』の方について『車イス乗車拒否の女性、10年前にも拒否されてメディアにの取材に応じる 社民党幹事として活動』とネットユーザの証言
デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛が恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること
フェミニズムの訴えることは「社会制度を変えろ」なんだけど、 アンチフェミは社会変革は求めていない。ただ「愛されること」を求めている。 愛されさえすれば、彼らはこの世界に特に文句はない。 個人が愛されないことこそが彼らの世界の唯一の大問題なので、それこそゲンドウじゃないが、 ありのままの自分を愛してくれる女(できれば美人)がいさえすれば、それで全ては解決する。 社会制度は社会運動によって変革されることが可能なので、 フェミニズムは運動するし、何十年かかっても達成されることを希望できる。 しかしアンチフェミが求めているのは「自分個人が今愛されること」なので、社会制度の変革も意味がない。 皆婚時代のアンチフェミ弱者男性層は、イヤイヤ結婚した妻に家庭内で愛されていなかった。 妻からも子供からも無視され、ATM扱いされたり、中年期に離婚されたりと、 社会制度によるお膳立てがある時代ですら愛は誰でも得
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